TOKYO2020に世界中のアスリートが集まった。2016年のリオでは10名だった難民選手団も、史上2回目のオリンピック出場となる今回は、29名と大幅に規模を拡大。そのうちの7名はランナーだ。
1992年、1996年、2000年のオリンピックに出場し、1994年のニューヨークシティーマラソンでアフリカ人女性初の優勝を果たしたテグラ・ロルーペは、2014年、国際オリンピック委員会(IOC)から「2016年のオリンピックに間に合うように、難民選手団を結成してほしい」という依頼を受けた。その使命を見事に果たしたロルーペは、そのまま難民選手団のシェフ・デ・ミッション(選手団長)に就任。2003年に設立したテグラ・ロルーペ平和財団を通し、スポーツによる平和を推進してきた彼女は、難民が持つアスリートとしてのポテンシャルをよく知っていた。
2021年の難民選手団は、11カ国(アフガニスタン、カメルーン、コンゴ民主共和国、エリトリア、イラン、イラク、南スーダン、スーダン、シリア、コンゴ共和国、ベネズエラ)の選手たちで構成される。開会式では、ギリシャに続いて2番目に行進をした。
2020年のオリンピックがパンデミックで延期されたことにより、難民選手団の候補選手たちが困難に直面したのは言うまでもない。候補選手の多くは、ケニアのカクマ難民キャンプに住みながらトレーニングをしていた。ところが、ケニア政府は各地のスポーツキャンプを閉鎖。ナイロビのンゴングにあるテグラ・ロルーペ・スポーツトレーニングセンターも例外ではなかった。また、カクマ難民キャンプはソーシャルディタンスを十分に確保できる環境になく、選手たちは常に新型コロナウイルス感染の不安と隣り合わせだった。
無事、ロルーペのトレーニングセンターが再開されてからは、ランナーたちはトレーニングをリスタート。ロルーペは、選手団7名のうち、ケニアに住む4名(男性2名、女性2名)のランナーを指導した(残りの男性ランナー3名はイスラエルとポルトガルに住んでいた)。AP通信社によると、ロルーペは選手団長としてチームと一緒に東京へ飛び立つ直前、PCR検査で陽性と判定された。
難民選手団は、希望と結束のメッセージを伝えるべく結成された。もちろん、世界中で8千万人以上の難民が直面する困難に対する認知度を高めるという目的もある。でも、だからといってチーム内に争いがないわけではない。『TIME』誌によると、2017年から2019年の間にロルーペのキャンプでトレーニングを積んだランナーのうち6名が、チームに与えられる機会とお金を巡る衝突の末、チームを離脱。2021年の難民選手団から除名された。これは数ある問題の一例にすぎない。
難民選手団のメンバー全員が想像しがたい困難を乗り越えてきたのは間違いない。彼らにとってオリンピック出場は、他に類を見ない人生経験。ここからは、100mからマラソンまで、数々の陸上競技で活躍が期待される7名の選手たちを紹介しよう。
アンジェリーナ・ナダイ・ロハリス
28歳のロハリスは、女子1,500mに出場する。2002年、南スーダンの戦乱を逃れ、ケニアのカクマ難民キャンプに叔母と到着。高校で競技ランナーとなり、ロルーペの財団が2015年に開催した10kmマラソンに出場した。
驚異的な結果を残したロハリスは、その後、ロルーペの財団でトレーニングを始め、2016年のリオオリンピックのランナーに選出された。2017年にロンドンで開催された世界陸上選手権大会では、難民チームの1人として1,500mを走り、4分33秒54という自己ベストを記録した。
「私は、世界中にポジティブなメッセージを届け、平和を推進し、私たちがもっとやれる人間であることを証明するために、難民としてオリンピックに参加します」
ドリアン・ケレテラ
22歳のケレテラ(写真左)は、男子100mに出場する。コンゴ民主共和国で生まれ、2016年、コンゴ紛争で両親を亡くしたあと、17歳で祖母とポルトガルに移り住んだ。現在は同国屈指の総合スポーツクラブ『スポルティング・クルーベ・デ・ポルトガル』でトレーニングを行い、2004年のオリンピックで男子100mの銀メダルを獲得したフランシス・オビクウェルの指導を受ける。
15歳でランニングを始めたケレテラは、週6日、1日3時間のトレーニングを続けている。2020年2月には60mを6秒49で走り、2020年8月には100mを10秒46で走った。アテネオリンピック決勝でオビクウェルが樹立し、のちにジャスティン・ガトリンが更新した9秒86の記録を破りたいと思っている。この9秒86はポルトガルの国内記録でもあり、ジミー・ヴィコ(フランス)とタイのヨーロッパ記録でもある。
IOC難民選手団のフェイスブックで「私は決して諦めず、夢を追い続ける人間です」と語ったケレテラ。「人生のモットーは、信念、決意、勇気、忍耐、粘り強さを持って前進することです」
ジャマール・アブデルマジ・イーサ・モハメド
25歳のモハメドは、男子5,000mに出場する。10代の頃、スーダンのダルフール紛争で父親を亡くし、母親と兄弟姉妹を家に残して、エジプトのシナイ砂漠へ。その後、イスラエルに到着し、難民認定を受けた彼は、恵まれない子供たちに機会を提供するテルアビブのスポーツクラブ『The Alley Runners Club』で陸上競技を始め、イスラエルの公用語であるヘブライ語を学んだ。
2017年にはIOC難民アスリート奨学金を獲得し、フルタイムでトレーニングを開始。2019年には世界クロスカントリー選手権大会に出場し、同年の世界陸上競技選手権大会ドーハ(カタール)では、たった6名しかいない難民チームの1人としてトラックを走った。
モハメドは、1年半に及ぶパンデミック中も活発なトレーニングを続け、各地で1,500mから10kmのレースに参加した。オリンピックの延期は『The Alley Runners Club』に恩返しをする機会もくれた。昨年スポーツマッサージの勉強を終えた彼は、現在、マッサージ療法士としてクラブを支える。
IOCの動画ニュースリリースで、「オリンピックはアスリート全員の夢であり、難民選手団の一員であることは、私にとって大きな意味を持つことです」と語ったモハメド。「大会、ケガ、自分のミスから多くのことを学んできました。難民アスリートのみんなには、決して諦めず、自分を信じて、自分のベストを尽くしてほしいと思います」
ジェームス・ニャン・チェンジェック
リオオリンピックにも参加した29歳のチェンジェックは、東京で男子400mに出場する。出身は南スーダンのベンティウで、兵士だった父親を1999年の紛争で失くしている。紛争が勃発した際、入隊を余儀なくされる危険性を鑑みて、南スーダンから逃亡。2002年、ケニアのカクマ難民キャンプに到着し、勉学とランニングのトレーニングを開始した。2013年、テグラ・ロルーペ平和財団の選考会に参加して、それ以来、同財団でトレーニングを続けている。
難民選手団の第一期生として参加したリオオリンピックでは、400mを52秒89で走り、8位という結果を残した。2019年の世界陸上選手権大会の難民チームにも選出され、男女混合2×2×400mリレーで7位。
「IOCとロルーペによる難民選手団結成のアイディアは、私たちに希望を与えてくれました」と、IOCの動画ニュースリリースで語ったチェンジェック。「これで世界中の難民たちにスポーツで人生が変えることを伝えられます」
パウロ・アモトゥン・ロコロ
29歳のロコロ(写真右)は、男子1500mに出場する。2006年、南スーダンの戦火を逃れ、ケニアのカクマ難民キャンプに到着し、この場所で2004年から暮らしていた母親と合流した。そこで勉学を始めてから数々のスポーツに挑戦し、ロルーペ平和財団に所属する運びとなった。難民選手団の1人として、リオオリンピックに出場した経験を持つ。
リオオリンピック後も、2017年の第5回アジアインドアゲームズ、2018年のIAAF世界ハーフマラソン選手権とアフリカシニア陸上競技選手権、2019年にスイスのジュネーヴで開催されたユニセフ・ハーモニーマラソンといった数々の国際的なイベントで難民を代表して参加している。
「難民には、彼らには何だってできること、次の世代のインスピレーションになれることを知ってもらわなければなりません」と、IOCの動画リリースニュースで語ったロコロ。「難民たちは、心の中に自由と平和を感じなければなりません。規律を身に付け、自分の文化を尊重すれば、得られるものがあるはずです」
ローズ・ナティケ・ロコニエン
26歳のロコニエン(写真左)は、リオオリンピックに引き続き、東京でも女子800mに出場する。家族と共に南スーダンの内戦を逃れ、2002年にカクマ難民キャンプに到着した。学校に通いながら競技ランナーとなり、2015年、ロルーペ平和財団が開催した10kmマラソンに参加。その後も同財団とトレーニングを続けた彼女は、リオオリンピックの難民選手団に選出され、旗手を務めた。
「開会式の入場行進では、世界中の人々が難民選手団を応援してくれました。初めてのことだったので、本当にうれしかったです。スタンドからの声援を聴きながら、私たちも、みんなと同じ人間なんだと思いました」と、IOCの動画ニュースリリースで当時の感動を振り返る。「難民になりたくてなる人はいません。難民は母国から逃げてきた人々ですから、私たちには、希望を持ち続けてほしいというメッセージを伝えることが重要なのです。スポーツを通して、人生を変えることは誰にでもできますから」
ロコニエンは、リオオリンピック後、2017年の世界リレー選手権(横浜)でも難民チームに選ばれている。
タクロウィニ・ガブリエソ
23歳のガブリエソは、男子マラソンに出場する。12歳の若さでエリトリアを逃れ、エチオピアとスーダン、そして長く険しいエジプトのシナイ砂漠を歩き、イスラエルに到着。その後、ハデラの学校に送られた彼は、そこでランニングコーチに出会う。
現在は、IOC難民アスリート奨学金を受給しながらテルアビブに暮らし、『The Emek Hefer Club』でトレーニングを積んでいる。2019年には、世界陸上選手権大会の難民チームに選出された。開催地のドーハに向かう途中、イスタンブール(トルコ)でビザ関連の問題が起き、レース直前の調整に支障が生じた。にも関わらず、ガブリエソはドーハの熱波の中で、5,000mを14分28秒11で走り抜いた。この記録は、自己ベストの14分15秒05より13秒遅いだけ。2020年には、ポーランドのグディニアで開催された世界ハーフマラソン選手権への出場が決まっていたが、またもビザの問題で渡航中断を余儀なくされた。それでも、その2カ月後、ハーフマラソンの自己ベスト1時間2分21秒を樹立している。
ガブリエソは、2020年と2021年だけでも3,000m、5,000m、10,000m、ハーフマラソン、マラソンに出場し、徐々に距離を伸ばしてきた。『ワールドアスレティックス』(元国際陸上競技連盟)に対しては、ビザ問題とパンデミックによるストレス要因はあるけれど、それを障害とせず、着実な進歩と自分の目標に集中してきた結果、1年前よりコンディションが良いと語った。3月には、イスラエルのフラレイク自然公園のフルマラソンを2時間10分55秒で完走し、たった2回のフルマラソンでオリンピック参加資格を取得した史上初の難民アスリートとなった。
「プロのアスリートとして、オリンピックは私の夢です。IOC難民選手団の一員になれることを心から光栄に思います。人生に不可能なことはない、諦めてはいけないということを人々に証明したいと思います」
Text: Emilia Benton Translation: Ai Igamoto