大西洋に浮かぶタークス・カイコス諸島のラグジュアリーホテル『グレースベイクラブ』。白い砂浜から見た水平線には、ターコイズのブランケットが敷かれている。

夫のエイドリアンと2人だけで旅行をするのは4歳半の長女を妊娠していたとき以来。子どもたちが起きる前にテキサス州サンアントニオを出発したのはいいけれど、なにか無性に物足りない。小さな手のひらを握ることに慣れすぎている私の両手は、魚の口のように開いたり閉じたりを繰り返している。でも、私は子どもたちが恋しいと思う反面、いないことに安堵していた。この旅行中は母親でいられない。私には少しの間、追いかけたいものがあるから。

私たちは、タークス・カイコス諸島のプロビデンシアレス島に到着した。目的は、数少ない黒人女性フリーダイバーの1人でPADI公認マーメイドのアレンシア・ベイカーと、コンスタントウェイト・モノフィン部門で国内記録を樹立したアルゼンチンの女性フリーダイバー、サマンサ(サミー)・キルデガードに会うこと。熱帯低気圧が近付いているという話もあるけれど、頭上で太陽が燦燦と輝いているいまは信じ難い。

数ヶ月前、フォロー中のブックスタグラマーが水着姿でターコイズブルーの海底を滑るように泳ぐ動画を投稿した。異常に長いフィンを履いてゴーグルを着けているけれど、シュノーケルと空気のタンクは使っていない。これがフリーダイビングか。この世のものとは思えない彼女の動画を時間を忘れて観ていたら、次の日からはインスタグラムを開くたびに、チラチラ光るウェットスーツを身に着けて空から差し込む光の中を下りていく人が表示されるようになった。

最初のうちは一見気だるそうにフィンを蹴り、水深10mあたりで足を止める。そこからは目を閉じて、腕の力を抜きながら重力に身を任せ、真っ逆さまに落ちていく。日の光が届かなくなり、周囲の水が濃い青みを帯びてきて真夜中のように暗くなっても、ヘッドライトで行き先を照らしながら、銀河の中を飛んでいく宇宙飛行士のように下へ、下へ。

素潜り、無呼吸潜水、スキンダイビングとしても知られるフリーダイビングでは、呼吸装置を使わずに息を止めた状態で潜水する。その映像を初めて観たときは、普通の人間がひと息で信じられないほど深くーときには120mもー潜ることが信じられず、上手に修正されているだけで、どこかにタンクが隠されているのではと疑ったりした。死の恐怖を物ともせずに人体の限界を超えていくこの人たちは、一体何者なのだろう。なにを思ってフリーダイビングを始めたのだろう。この人たちから私はなにを学べるだろう。

girl gracefully free diving in clear water
Justin Lewis//Getty Images

フリーダイビングのレッスンは、皮肉にも、呼吸の仕方から始まる。私はホテルの大人専用プールの脇でサミーの呼吸エクササイズ&ストレッチ講習を1時間ほど受けてから、カーボンフィンとフリーダイビング用の地味なマスクを受け取った。自分のフリーダイビングスクールを経営するサミーは、ヨガインストラクターのような落ち着きとスポーツ選手のような集中力と目的意識を併せ持つ人物で、私は初めて会った瞬間から信頼を寄せていた。サミーは長いロープの両端に重りを付けて、プールの底に寝かせている。これは息を止めて長い距離を泳ぐダイナミック・アプネアの練習をするためで、深く潜るのはまだ先だ。

競技としてのフリーダイビングの歴史は比較的浅く、世界水中連盟(CMAS)に認可されたのは1970年代に入ってから。でも、フリーダイビングそのものは約8千年前から行われており、古代ギリシャのオリンピックには“海綿(シースポンジ)潜水”なる競技まであった。いまでも日本では海女さんと呼ばれる女性たちが水深50m近くまで潜り、そこに数分留まって真珠や海藻を採取している。

インドネシア、マレーシア、フィリピンの沖合では、“海の遊牧民”として知られるバジャウ族が手作りのゴーグルとスピアガンだけで日によっては5時間以上潜り、水深70mを超える場所で魚やタコを捕まえるという生活を千年以上続けている。2015年、人間の低酸素(酸欠)耐性を研究している遺伝子学者のメリッサ・イラルド博士はバジャウ族と一緒に潜り、超音波装置を用いた検査によって、バジャウ族の脾臓が近隣の陸地で暮らすサルアン族に比べて50%も大きいことを突き止めた。つまり、バジャウ族の体は、かなりの水深で長時間息を止めていられるように進化したということ。

哺乳類には潜水反射ー別名“生命の主電源”ーという生理学的な現象がある。フリーダイビングの世界における潜水反射は、ヒトの体が冷たい水に浸かったときに生じる身体的な変化を指す。

潜水反射が起こるとまず心拍数が低下して、酸素の使用量が減る。そのため、フリーダイバーの中には水深75mにおける心拍数が1分あたり14回まで下がる人もいる。次に血液が四肢から主要な臓器にリダイレクトされ、脳と心臓に酸素を送り続ける。そして(水圧で)肺が圧縮されると、そのまま壊れてしまうのを防ぐために血管が充血する。最後に脾臓が収縮し、酸素濃度が15%増しの血液を血中に送り込む(だからバジャウ族の大きな脾臓は興味深い)。

adult woman relaxed under the mediterranean sea in menorca, spain
Cavan Images//Getty Images

私がフリーダイビングに抗いがたい魅力を感じるのは、人体の半分以上と血漿の90%以上を水が占めているからかもしれない。そして、私は考えるーマインドにも、体と同じように深い海で変容する能力があるのだろうか。それを経験することで、普段の地上の生活は変わるのだろうか。

タークス・カイコス諸島のバリアリーフは世界でもっとも大きいバリアリーフの1つで、海を穏やかな状態に保ちつつ、グレースベイビーチを大波から守ってくれる。グレースベイの西側に位置し、“サンゴの庭”としても知られるバイトリーフには、海岸から100mにわたりサンゴの尾根が広がっている。アレンシアによると、このスポットは白い月が静かに海を照らす明け方に潜ると最高らしい。その理由は考えるまでもなかった。

シュノーケルを通して自分の息がリズミカルに響く中、魚たちがパチパチと音を立てながら夜明けのサンゴを食べている。アレンシアが指差す方向に目をやると、青白いフグが風船みたいに膨らんでいたり、侵略的外来種のミノカサゴがクジャクの羽根のように縞々の背びれを広げていたり。海底の砂の上を動く影の正体は、なんと巨大なマンタだった。近くで見たいものがあると、アレンシアは上半身を折りたたむようにして5~6m先の海底に頭からダイブする。そして、しばらく上がってこない。普通の人ならとっくに息が切れているはず。

the beautiful a school of whitesaddle goatfish and oriental butterflyfish and others hirizo beach, nakagi, south izu, kamo gun, izu peninsula, shizuoka, japan, photo taken august 27, 2023 in underwater photography
d3_plus D.Naruse @ Japan//Getty Images

「私は海の子」とアレンシアは言う。「母がタークス・カイコス諸島出身で、父がハイチ出身という島人の家系に生まれたんです」

ダイビング器材&マーケティング協会のDEMAによると、スキューバダイビング人口に占める黒人の割合はわずか11%。一方のフリーダイビングには人種別の人口データが存在しない。でも、アレンシアは生涯フリーダイバーで、フリーダイビングがスポーツ、コミュニティ、サブカルチャーであることを知る前から息を止めて潜っていた。大会に出たこともなければ、インストラクターの資格を持っているわけでもないけれど、フリーダイビングに関りながら生きていくのはアレンシアの宿命だった。フロリダ州ウエストパームの高校でデジタルデザインを教えていたこともあるけれど、新型コロナウイルスと米国の政治情勢が教師を厳しい状況に追い込んだ2021年、所有物を売り払い、プロビデンシアレス島に移住した。

今日のアレンシアは自分の情熱で生計を立てている。ダイビングクルーズ(レジャーダイバーが一定期間ーほとんどの場合は1週間ほどー滞在する客室付きの船)に帯同してゲストと1日2~3回潜ったり、チャーターボートや半潜水艇(セミサブマリン)でガイドをしたり。タークス・カイコス諸島にある非営利海洋保護団体のボランティアとして、サンゴを養殖する木のメンテナンスをしたり、サンゴの移植活動をしたり、マーケティング用の動画や写真を撮ったりすることもある。そして、自分の時間はフリーダイビングをして過ごす。

2021年のある朝、アレンシアがサンゴの庭に到着すると、ひと泳ぎして海から上がった女性がいた。その女性は、アレンシアのフリーダイビングのフィンに気付くと、わざわざ話しかけてきた(この島でフリーダイビングのフィンを持っている女性に会うのは、そのくらい珍しい)。それがサミー・キルデガードだった。翌月、2人はボートでウエストカイコスへ。そこでサミーのライントレーニング(外洋のロープに留められた状態で潜降し、リラクゼーション、息止め、垂直に潜るダックダイビング、ロープの扱い方、リカバリーなどのテクニックを磨くトレーニング)を受けたアレンシアは、ひと息で18m潜れるようになった。

アルゼンチンで生まれたサミーは、14歳で脊柱側弯症(背骨が左右に弯曲し、痛みや息切れが生じる病気)と診断された。担当医からテニス、ボート、水泳のいずれかを用いた運動療法を勧められた彼女は水泳を選択し、1日2時間泳ぐ生活を1年続けた。

「それで99.9%治りました」とサミーは言う。「水には人を癒す力があります。私はそれをこの目で見て、実際に経験しました。私自身が証人です」。翻訳家として働いたあと、サミーはスキューバダイビングのインストラクターとして世界を旅した。その後、フリーダイビングの大会で記録を作り、いまはタークス・カイコス諸島で自分のスクールを経営している。

サミーの言葉に触発されて、私はかねてからの疑問を持ち出したー水がヒーラーじゃなくなるときもあるのでは? 大会に出場するフリーダイバーの死亡率は驚くほど低く、これまでに記録された5万本以上の競技ダイブの中で死亡事故は1件だけ。でも、適切なトレーニング、ギア、バディの同行なしで行うレジャーのフリーダイビングでは死亡率がダイブ500本あたり1件と急激に高くなる。

朝食のテーブルを挟んで、サミーとアレンシアは心得たように視線を交わす。アレンシアはダイブ中に撮ったというGoProの動画を見せてくれた。そこに映っていたのは、サンゴの庭で彼女の周りを楽しそうに泳ぐウミガメ、巨大な蝶のように深海を横切るマダラトビエイ、浮上して息をする方法を子どもに教える母クジラの姿。一方、サミーは水深50mでオスのクジラに遭遇したことがあるという。

humpback whale
Mike Korostelev//Getty Images

「彼は目を閉じて歌っていました」とサミーはその日を振り返る。

「クジラが歌うと、その振動が体に伝わってくるんです」とアレンシア。

サミーは「心臓に響きます」と言って、ため息をつく。

「潜っているときの私は、自分の体と心をコントロールできています」とアレンシアは続ける。「その間は自分のことが信じられます。逆に地上にいるときは自分が上手くコントロールできなくて、この上なく脆い状態。私が地上で生きていくには潜る必要があるんです」

アレンシアの言葉は、私が持っていたフリーダイビングの概念を完全に覆した。水中では、人間が属さない環境に翻弄されてコントロールを失うものと思っていた。怖いと思う瞬間は絶対あるはず。パニックに陥るときも。息が苦しくなって見上げたら、海面まで18mもあったときの気持ちなんて想像できない。

「私は絶対に上を見ません」とアレンシアが言い切ると、サミーも首を縦に振る。「フリーダイビングで大切なのは、いま、その瞬間に集中することです」

「恐怖を感じたときは『あと30%残ってる』と自分に言い聞かせます」とアレンシア。「もうダメと思っても、あと少しは残っているものなんです。それで浮上したときは、スーパーヒーローみたいな気分になれます」

「あなたにも、そのうち分かる」。そう言ってサミーは私に微笑んだ。

グレースベイクラブは、プロビデンシアレス島の高級リゾート&住宅開発を行う『グレースベイリゾート』が出がけたビーチクラブ。2つのウイングはリノベーション工事中で、大人専用プールも閉鎖されていたけれど、レッスンで使用するのは許可された。このプールは海に向かって真っ直ぐに伸びている。熱帯低気圧の到来を予感させるのは、朝の穏やかな海に小さな白波を立てる風だけ。

サミーの指示に従って、私はビーチチェアに仰向けで寝た。女性の肺活量は通常4リットルくらい。でも、サミーいわく特殊な呼吸エクササイズと肋間筋ストレッチで肺活量を鍛えれば、息を止めていられる時間が伸びる。片方の手をおなかに乗せて、もう片方の手を胸に乗せると、おなかに息を吸い込んで、その空気を胸のほうに押し上げる練習が始まった。3秒かけて息を吸い、一度止めて肩の力を抜いてから、6秒かけて息を吐く。少し頭がクラクラしてきた。肩も上がって、耳にくっつきそうになっている。

「フリーダイビングの最中に何らかのストレスや恐怖を感じたら、それを取り除くまで先に進むことはできません。人生と同じです。フリーダイビングは特殊な環境。心身ともに満たされた状態を作り出すパワフルなツールです」

この2年半で人類が経験したストレスや恐怖は大きい。サミーは私に空気を吸い込みすぎないための方法、ストロー呼吸法、リカバリー呼吸(浮上後に鋭く息を吸って吐くこと)を教えて、繰り返し練習させた。その後「OK」のハンドシグナルを出し、「I’m okay」と言うまでが一連の流れ。

40分後、いよいよ息を止めてみるときが来た。サミーはストップウォッチを取り出して「1分間、普通に息をしてください」と私に言った。ここからは、“フリーダイビングの母”、ナタリア・モルチャノワが生み出した集中/分散というテクニックを使うそう(2015年、スペインのフォルメンテラ島のダイブから浮上せず帰らぬ人となった時点でモルチャノワは41の世界記録を持っていた)。

「まずは聞こえるものだけに全神経を集中させて、それ以外は全部シャットアウトしてください」とサミー。

私は海鳴りに耳を傾ける。その次は感じるものだけ。太陽で脚が焼ける感覚と、肌に当たる柔らかい風。ここでサミーに「おなかの空気を胸に移して」と言われたけれど、おなかがパンパンすぎて無理。「力を抜いて」というサミーの言葉で、体の部位を1つずつ緩めていく。いまの私は呼吸のことを忘れるくらい、その感覚に集中している。その後しばらくは余裕な感じがしていたけれど、急に苦しくなってきた。

私が調べたところによると、脳が体に息をさせようとするのは体内に二酸化炭素が蓄積しているからで、息がしたいという衝動を落ち着いて受け流し、その後のけいれんを乗り切れば、あと数分持つらしい。でも、私はけいれんが起こる前に目を開けた。

サミーが即座に「リカバリー呼吸」と言った。

私は息を鋭く吸って鋭く吐いた。ハンドシグナルと「I’m okay」のことは、サミーに言われるまで忘れていた。

「気分はどう?」と聞かれて、体の状態をチェックする。頭はクラクラしていない。心拍数も落ち着いている。絶対に40秒もいっていないと思いながら、私は「大丈夫です」と答えた。

サミーがストップウォッチを見せる。1分22秒。あまりのうれしさで笑うことしかできなかった。

asian chinese coach guiding his student underwater breathing exercise in swimming pool
Edwin Tan//Getty Images

プールの中でサミーは、呼吸と耳抜きとダックダイビングを融合する方法を説明してから、フィンの蹴り方を教えてくれた。高校時代は水泳部だったので、両脚をモーターのように動かして長いプールを泳ぐ楽しさは知っている。でも、ここで求められるのは、最小限のエネルギーで効率よく泳ぐこと。サミーによると、股関節の付け根から脚を上下に動かして蹴り、できるだけ長くグライドしてから次のキックをするのがポイント。フリーダイビング中は絶対にロープから目を離さず、両腕を頭の横にピッタリ付ける。左右の指は、水の抵抗を切り裂いて進めるように重ねて先を尖らせる。

長年の習慣や本能で勝手に動いてしまう体を何度も微調整しながら、私はサミーが教えてくれたことを必死になって融合させる。耳抜きとダックダイブをしたら、壁を押して泳ぎ始める。プールの底に寝そべっている白いロープから目を離さずに、蹴ってはグライド、蹴ってはグライドを繰り返す。サミーが隣で泳ぎながら私を見ているのは感じるけれど、それ以外はリラックスした状態で、ひとり心の平静を楽しんでいた。

だから突然ロープが終わったときは驚いて、プールの壁に頭をぶつけそうになってしまった。浮上して息を吸うと、サミーの歓声が聞こえた。ひと息で20mは泳げたはず。水深に換算すると9mくらいだろうか。

「気分はどう?」というサミーの問いに私はまた「大丈夫」と答えたけれど、自分の体の感覚に意識を向けたら、「自分が…...強く感じる」ことに気付いた。

2017年、私は不妊治療の末に妊娠した。当時の私は毎日ピラティスをして、年に一度はハーフマラソンを走っていたけれど、妊娠11週目に恥骨結合離開を発症。ベッドの出入りにもトイレにも夫の介助が必要となり、松葉づえがないと歩くことさえできなくなった。この恥骨結合離開は2度目の妊娠初期にも私を襲った。息子が無事に産まれたのは、2020年、ロックダウンの真っ最中。あの頃は社会全体だけでなく、妊娠と出産で大きく変わった私の体も脆く感じた。それからずっと自分が強いと思えずにいたけれど、いまは思える。

「もう1回やってみる?」とサミーに聞かれて、私は迷わず「はい」と答えた。1日中やっていたい。バイフィン、モノフィン、フィンなしで練習するのも、約1kgのロブスターのネックウェイトを使うのも、胸椎を使う泳ぎ方や浮力に逆らう泳ぎ方を習得するのも全部楽しい。セッションが終わる頃には、ひと息でプール30m、水深換算で27.5mも泳げるようになっていた。天候次第で明日は海。早朝にアレンシアとシュノーケリングをしたサンゴの庭か、スミスリーフ(ここも2人のお気に入り)で潜る予定。心の準備はできている。

結局、海には一度も出られなかった。熱帯低気圧が強力なハリケーン「フィオナ」となって、ドミニカ共和国とプエルトリコに壊滅的な被害を与えてから、タークス・カイコス諸島に向かって突進してきた。空港が閉鎖になって外出禁止時間が設けられる中、グレースベイクラブのスタッフは経験から来る落ち着きと手際のよさで家具を解体・補強したり、1階のドアの前に土嚢を積み上げたりしている。宿泊客に無料のディナーとアルコール飲料が振る舞われると、いよりよ空が暗くなってきて、ドキドキとワクワクが入り混じった雰囲気に。

部屋に戻ると、救援物資(サンドイッチ、トルティーヤ、フルーツ、シリアル、冷製パスタサラダ、菓子パンなど)が私たちを待っていた。小型冷蔵庫にはミネラルウォーターのボトルが15本。それを見て私は悟った。ハリケーンは本当にやってくる。これは避けられない事実なのだ、と。

先ほど私は、モーリーンという名の清掃係と世間話に花を咲かせた。彼女はジャマイカ出身で、プロビデンシアレス島に15年ほど住んでいる。ハリケーン「イルマ」のときは谷間にある家が浸水し、3ヶ月も電気が復旧しなかった。それでも彼女はハリケーンの暴風雨を見るのが好きだと言っていた。

「人間はいろいろコントロールしようとしてきたけれど、自然だけはどうにもならない」とモーリーン。「これは神だけが成せる業。素晴らしいことなのよ」

woman freediver glides over sandy sea with fins
Nuture//Getty Images

その晩、私はエイドリアンとベッドで横になりながら、ドアや壁を激しく打つ風雨の音を聴いていた。この部屋はオーシャンビュー。目を閉じると、暗闇の中で黒い水がゆっくり一気に押し寄せてきた。数十メートル潜ったところで酸欠になり、もがく自分の姿が見える。

すると、どこからかアレンシアの声がした。「上を見ないで。まだ少し残っているから大丈夫」。私は目を閉じ、片方の手をおなかに乗せて、もう片方の手を胸に乗せる。ハリケーンの上陸を横目に見ながら、私は深く息をした。
 
※この記事は、アメリカ版ウィメンズヘルスから翻訳されました。

Text: Katie Gutierrez Translation: Ai Igamoto

Headshot of 伊賀本 藍
伊賀本 藍
翻訳者

ウィメンズヘルス立ち上げ直後から翻訳者として活動。スキューバダイビングインストラクターの資格を持ち、「旅は人生」をモットーに今日も世界を飛び回る。最近は折りたたみ式ヨガマットが手放せない。現在アラビア語を勉強中。