ネパールの首都カトマンズに到着したのは、満月に近い夜でした。成田空港からネパール航空の飛行機に搭乗し、機内の新聞を手にしたら、表一面にネパールの内戦が取り上げられていたのは2003年のこと。当然、私は1996年からネパール政府軍とマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)の間で続いていた内戦のことを知っていながら、ネパール行きを決めていました。23歳の私は恐れ知らずで、ただ新しい扉を開きに行くアドベンチャーにワクワクしていました。

ネパールを行き先として決めたのは私ではなく、CS旅チャンネル『サスライ 〜Save the Earth Project〜』という番組のカメラマン兼ディレクターのヤス。私はオーディションに受かり、この番組のレポをするトラベラーになることが決まっていました。バックパックだけで世界の僻地へ出かけ、現地の人にさらに現地の人を紹介してもらいながら人伝てで旅をするという斬新な手段で、エコと平和の実態を知りに出かけたのです。

到着の夜は紛争中とは思えないほど、見る限りは“普通”だと感じた覚えがあります。もっとも、街には夜間外出禁止令が出ていたので、時間になる前に到着せねばとドライバーが急いで車を走らせていました。私達の行き先はホテルではなく、カトマンズの最初の案内人、ニーナさんの自宅でした。ニーナさんの自宅前に車が着いた時、月明かりに灯された家の鉄門がデジャヴのように、なぜか見たことのある光景であったのを今でも忘れられません。

カトマンズからヒマラヤ山脈地帯へ向かうことが決まっていた私達の旅は、マオイストの動きによって道が規制されることから、予定外な状況になっていました。それでも、私とディレクターのヤスは、割とドンマイな姿勢。というか、つべこべ言ったところで何も始まらないので「なんとかなるさ」の精神だったのでしょう。バックパックで異国の地を探検しにいく者にとっては、臨機応変とドンマイな姿勢、そして「なんとかなるさ」の精神こそがベストな準備である。そんな心構えは、最初はただのラッキーでやっていましたが、のちに大きな知恵だと気づくのでした。

予定が狂ったおかげで、カトマンズでの滞在期間が延び、他にエコや平和のテーマで取材できる場所はないかと急遽探すことになりました。案内人のニーナさんに尋ねたところ、ニーナさんが自分の子どもを連れて時々訪れているという、マザー・テレサの作った児童養護施設へ私達のことを案内してくれました。

子どもで溢れかえる施設に一歩入ると、私は活発で明るい場の雰囲気に高揚感を感じました。廊下もどの部屋も清潔で、何より子ども達が元気でキラキラしていたのです。目を輝やかせ、声を張り、スキップをするように飛んで跳ねて訪問者の私達に興味を持ち、名前を聞いてくるのです。私は、子ども達のエネルギーに圧倒されました。その後すぐに子ども達とも仲良くなり、ネパールの民謡を教えてもらい、子ども達の部屋で、一緒に手を叩いて歌ったのでした。

なぜこれほどまで圧倒されたのかと言うと、人生で初めて訪れた孤児院が、とにかく想像と大きく違ったからでしょう。とりわけイメージを持っていたつもりではありませんでしたが、なんとなくであっても淋しさとか悲しさとか、産みの親を知らない運命に関して思っていた印象とだいぶ違ったのです。

同時に、私の脳裏には山手線の車内のイメージが対照的に浮かびました。疲れた様子で座っているサラリーマンの姿勢は自分の背骨からずり落ちるかのように斜めで、うつろな目線は、抜け殻のような空っぽさを物語っている。生きることの喜びが感じられないというか、生命力が感じられないというか……山手線の列車と同じように、グルグル同じ毎日を自動的に繰り返し、半分眠ったまま過ごしているように見える、そんなイメージが浮かんだのです。

脳裏に浮かんだ東京のワンシーンと、活発でエネルギッシュな子ども達に囲まれた孤児院の空気にギャップを感じ、不思議に思いました。日本は世界でも有数の先進国で、テクノロジーも教育もとても進んでいて、住まいも食も恵まれているはず。私達は、ネパールで孤児と呼ばれる子ども達より恵まれているはずではなかったの? この子たちは親を知らなくてもこんなにイキイキと生命力を輝かせていて、生きることを心から楽しんでいる。それに比べ東京の電車の中の人達はなぜ、輝きを失いかけているの? と。

衝撃と心の内で渦巻いたこのようなクエスチョンを抑えることができず、私は「シスター達の子育ての秘訣はなんですか? なぜこの子たちは、こんなに幸せで喜びに溢れていて、イキイキしているのですか?」と施設長のシスターに聞きました。

すると、マザー・テレサに直接指導を受けたという施設長のシスターはこう答えました。「こんなに大勢の子ども達でいっぱいな施設だけど、私達は、一人でも子どもが見当たらなくなったら、すぐに気づくわ。なぜなら、一人ひとりが特別であり、大事だから。そのことを、子ども達にも知らせてあげています。それは、マザーが最も大切にしていた教えの一つです。子ども達一人ひとりにとって、親がいなくても、親ではなくても、誰かがあなたの存在を必要としている。それを日々示してあげること。必要としているから、いなくなったら私達がすぐに気づくの」そう話しました。英語で、「We let them know that “I need you. We need you.”(彼ら一人ひとりを必要としている)」 という言葉を使っていたことが印象的でした。

日本の私達の場合、きれいな水があって、住まいに困ることなく、教育も当たり前に与えられ、親もいる。もちろん、みんながみんなそうではないこともあるけれど、それらを当たり前に持っている人々にとっては、「そのままのあなたを必要としている」「あなたがあなたのままで居てくれたらいい」という基本的な、無条件の愛し方を見過ごしてしまうのかもしれません。そこに居るのは当たり前なのだから、宿題をやりなさい、もっと稼ぎなさい、もっと頑張りなさい、もっとああしなさい、こうしなさい、と。

いつの間にか、宿題をやらなければ、もっと稼がなければ。もっと頑張ってあれをしてこれをして、行いを通して自分の存在を“証明”せねば、自分は愛されないのかと、愛に値する存在でいられないのかと、錯覚を起こしてしまうように思います。

そして、グルグルめぐる“錯覚ライフ”の中で、もっと頑張ろうと自分で自分の尻を叩いているうちに「ただ居てくれてありがとう」という、何の行いや達成とも関係ない、自分の本当の存在価値を知らぬ間に犠牲にしてしまったかのように。同じレールの上を、同じ電車に乗って、今日もまた頑張り、明日のために頑張るといった終わりなきレースを盲目に走ってしまうのです。

本当は愛ってもっともっと近くにあるのではないかと思うのです。その愛が「無条件の愛」ならなお、頑張らなくても勝ち取りに行かなくても、何も証明しなくても受け取れるはずです。だから今日は、知らぬ間に当たり前になってしまった錯覚を追いかける列車を、自ら降りてみようと思います。列車を降りたら、決められたレールもルールもない。だけど、今日は私から大切な誰かに「ただ、居てくれてありがとう」って言ってみたいと思うのです。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/