私には、インドに家族のように仲のいい友人がいます。足踏みミシンでカタカタ手早く仕事をこなすテーラーさんで、ロケッシュといいます。日本ではもうほとんど見かけることがないですが、新しい服を作ったり、お直しをしてくれる人です。

ご縁とは不思議なもので、何も考えずに磁石のように彼のお店に入った日のことを覚えています。英語は一応話せるけどアクセントがきつく、決して流暢とは言えないロケッシュ。文化も食べ物も、肌の色も信仰も。全てが異なる中でも、なぜでしょう、最初の頃から何か「共通のもの」を感じられたように思います。

彼の口からは度々熱い信仰心を物語る「ゴッド」の名が、ありとあらゆるヒンズー教の呼び名で出てきます。宗教色なく育った私に違和感がなかったのは、私自身ヨガを通して “かみさま”の存在を、ヤオロズの神のように、無数で無限で、だからこそ「分かることのできない、分かるためではない」ものの象徴として捉えるようになっていたからだと思います。

およそ13年もの間、私はヨガの学びと練習を深めるために南インドに通い続けましたが、現地ではヨガのスクールで過ごす濃密な時間以外にも、決まってロケッシュのお店に週2、3回は顔を出していたと思います。もちろん、毎週服作りやお直しがあった訳ではなく、お茶を飲んだり、同じく大の仲良しのロケッシュの奥さんとおしゃべりをして過ごす時の流れが大好きでした。

とても素敵な人間であるロケッシュ。それでも大きな欠点、というか私にとって大の苦手ポイントがありました。それは、彼の時間のルーズさ。インドに通うようになってから、分刻みで的確に流れる日本の時間感覚は通用しないことは重々承知でしたが、それでも信頼のおける仲だったからこそ、彼の「いついつまでに仕上げるからね」に何度がっかりさせられたことか。いつもは郷に入ったら郷に従え精神で過ごしている私も、これについてはどうしても分かりきれず、引っかかるところがありました。お友達であるがゆえに、それは時に私の心を傷める要因でもありました。どうしてこんなにいい人なのに、時間に関わる約束についてはこんなにダメなのだろう? と内心思い続けていました。

それ以外は引っかかることがなかったので、ずっと友達であり続けて5、6年経ったある夏のこと。その当時、インドに到着した私はとても辛かった離婚経験と、父の癌宣告、起業、東日本大震災……と、あらゆることが立て続けに重なり、精神的にコテンパンになっていました。そんな時でも迷いなくインド行きを決めたのは、 “I need this. (自分のために行く必要がある)”と、腹の奥で自分を見つめ直す時間を求めていたのだと思います。

インドに到着すると、リキシャのホーンの音がすごくても、周囲の衛生面が日本と違っても、なぜか心身共に深くリラックスする自分がいました。それは理屈ではなく、相当なストレスを溜めてしまっていた自分の神経と気の巡りを緩やかな時の流れに任せ、思考と感情のコードをスコンと抜いて”放電”させていたように思います。

内側が混沌としている時って、外向きにはバレないように過ごすことが大人の術でもあると思います。しかし、この時の私は本当に大きな変化を迎えていたのでしょう。抑えきれない感情、我慢しきれない思い、耐えきれないモヤモヤがピークを迎え、突然いてもたってもいられない寂しさに襲われた私は、ロケッシュのお店に向かいました。けれど、定休日でもないのに、張り紙もなしにシャッターが降りてお店はクローズしていました。

胸の内側がずっしり重たく落ち込む絶望感。どうしよう……? 私は、ダメ元でもう少し先にあるロケッシュの家まで歩いてみることにしました。

家は静かでしたが、チャイムを鳴らして待ってみると、めずらしく慌ただしい様子でロケッシュが階段を駆け降りてきました。

「ナマステ。おー、メイ。How are you? (元気かい?)」挨拶を交わすと、「入りなよ」と私を招きました。

「え? 今出かけるところじゃなかったの?」奥さんも子供達もいないようだったので、私は聞き返しました。

「Ah, no. It’s okay. Yes but no.(う、ううん。大丈夫。そうだけど、そうではないよ)」

チグハグした英語のコミュニケーションより、「いいから入りなよ」という彼の態度の方がよっぽど確かに伝わる会話でした。

想像以上に私の心の渦が表情に出ていたのか、それとも彼が私のことをよく知っていたから私の状態を手に取るように汲み取ったのかはわかりません。静かなリビングの椅子に座ると、ロケッシュはバイクのキーをテーブルに置き、冷蔵庫を開けました。 「I make chai.(チャイ、作るね)」

どうやら、出かけようとしていたのをやめ、私にチャイを入れてくれると言うのです。「Oh no. No milk. You wait here. I be back one minute. (ここで待っててね、すぐに戻るから)」、と言って草履で駆け出ていったロケッシュ。しばらく待っていると牛乳パックを片手にキッチンに戻り、即座にチャイを火にかけました。

インドのチャイは「お茶を飲むため」という理由と同等に「まったりとした時間を過ごすため」にあるのでしょう。熱すぎて指先でふちを持つことしかできない、インドで主流のスチールカップが目の前のローテーブルに置かれた途端、私の口からは抑えきれない想いが溢れました。

ロケッシュは、テーブルの向こう側の床に座ったまま、ただ居てくれただけでした。聴くことしかできない、答えのない私の悩みをただ受け止めてくれました。大きな、寛大な器のような、温かいクッションのような存在。泣いたり、泣かなかったり。誰にもどうにもできないと分かっていても、誰かに伝えずにいられなくなってしまった私のすべてを、ただ、共有してくれました。

アメリカの詩人、マヤ・アンジェロウ氏が「人はあなたが言ったことも、したことも忘れてしまう。だけど、あなたと感じたことは忘れることがないだろう」と言ったように、その時、私は彼と何を話したかを具体的には思い出せませんが、溢れ出た思いとその時感じた気持ちは今でも忘れられません。

一時間以上が経った頃、私はふと我に返るように彼が出かける様子だったことを思い出しました。「あれ? そういえば出かけるはずじゃなかった? 携帯、何度もブルっていたみたいだけど、大丈夫?」

「大家さんと会って話をする予定だったんだ」と、彼ははじめて行先について言いました。

「それって、大事そう。こんなに私の話を聴いてくれていて本当に大丈夫なの?」

「確かに、年に2回しか会わないのだけど、今日はめいの話を聴くことの方が大事だったんだよ。目の前にいる人の方が、大切なんだよ。大丈夫、大家さんとは外での待ち合わせではないから」

そう言えば、いつかテーラーショップで話していた時にも「目の前にいる人はすべてかみさま」と言っていたことがあったかも……。うろ覚えで、当時はただのことわざのように聞き逃していた彼の言葉が、突然現実味を帯びてよみがえり、私は全身でじんわり温かく彼の思いやりを受け取っていました。

実際のところ私は何度も彼の「今、目の前」に居ただけで、その思いやりを受け取っていたことでしょう。今回、初めて「約束を後回しにされた大家さん」の裏側に居たことで、ロケッシュの時間のルーズさの全貌を悟ったように思いました。すっぽかすつもりですっぽかしている悪者ではない。「自分と自分の内なるかみさま」との間柄を何より大切に想う信仰心に反することもない。彼はただ、シンプルに「目の前のかみさま」、すなわち「今、ココ」を最優先に生きているのです。

なんだか、言葉にならないほど心の深いところから「ありがとう」だけが湧いてきました。

あなたはあなたのままでいてくれて、ありがとう。

そして、「ごめんね」。それは、密かに私の心の内で響かせた想いでした。ひと昔前の私には、本当のあなたの在り方が見え切っていなかった。私が分からなかっただけであなたを疑ったり、批判して、ごめんね。そう反省したのでした。

私のことを、あるがままに見てくれて、ありがとう。必要な時に、居てくれてありがとう。

私もあなたのことを、もっともっとあるがままに知りたい。そう、心の内でギュッと感じると同時に、彼ほど「今、ココ」に意識をしっかりと置いた生き方が現代社会に不足しているか、私は考えずにはいられませんでした。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/