かつてヤンチャでちょっぴりワイルドだった父は、今はもう70代。「70代のおじいさん」と書きそうだった私の手にブレーキをかけるぐらいの若さと元気が今でもあります。そんないつもマイウェイだった彼の生き様は、60歳を過ぎた頃、定期検診で重度な前立腺癌が見つかった年から大きく変わったように思います。

父だけでなく、多くの若者は自分の命を当たり前のように無敵に感じ、それを疑うこともなく過ごすのだと思います。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、好きなだけの寝不足を重ね、ブーブー言いながらも毎回必ず立ち直る自分の生命力が当たり前で「ありがとう」の思いさえ浮かばないことが多いかもしれません。

10代の頃、東京の下北沢周辺の井の頭通りでバンドメンバー4名とぎゅうぎゅう詰めになって車に乗っていたという、父。渋滞で車が止まった時、たまたま前に止まったオープンカーの運転席に、寒空の下トップを下げ、毛皮のコートを着た美女が乗っていたそう。車の後ろからでもその美しさに目が留まり、バンドメンバーは誰がナンパしに行くかを決めるために急遽ジャンケンをしました。ジャンケンに負け、声をかけることになったのは私の父。そして声をかけられた彼女こそ、当時日本とアメリカのハーフモデルとして活躍していた、私の母だったのです。

これが父と母の出会いでした。

人生とは、理性の届かない、説明の付かない絶妙なタイミングとハプニングを企んでいる天才なのかもしれない。あの日のあの道を通っていなかったら。父がグーじゃなくてパーを出していたら、私と兄弟の命はなかったのかもしれないなんて、どのドラマよりもドラマチックに思えます。

そんなエピソードで垣間見られる通り、父は遊び心が盛んな若者だったというか、遊び人だったというか(笑)。私自身、学生時代はそのことを歯がゆく感じることもありましたが、今ではそれも昔のこと。

いつ、どのように、そんな無敵さから打って変わって命の儚さと尊さに気づくようになるか。経験からしか得ることのできない気づきは、人それぞれの人生のタイミングに届くものでしょう。癌を患った父は、病院での治療と並行してその後の暮らしの質について考え始め、積極的に漢方を取り入れた暮らしを始めました。何よりびっくりしたのが、それまでは横目で見ていた私のヨガに興味を持つようになり、60オーバーで癌を持った状態で、私の指導のもと毎日ヨガをするようになったのです! その練習は、10年以上経った今でも地道に継続しているほど。病気は人を弱くすることもあるけれど、この時期、私達家族は父の全く違った強さを見て、知ることがたくさんありました。

父は、最愛の孫の成長を見守ることを一段と愛おしく感じ、職場でも人間関係をとても大切にするようになりました。時に自ら進んでキッチンに立ち、腕によりをかけたご飯を私たちに作ってくれるようになったのも父の大きな変化でした。その変化はどこをとっても自分のエゴを満たす喜びより、人と共有することで広がる喜びを進んで選んでいるようにも思えました。同時に、癌宣告から10年以上が過ぎ、再発もなく奇跡的な回復を遂げることのできた父との時間をより貴重に、ありがたく感じるようになったことは、お互いに言葉にして交わすことがなくても、日頃の関係性の中でじんわりと感じています。

姉も私と同じようにそんな言葉のない命の大切さを感じているのか、最近は父に会うと、父の幼少期の出来事について興味津々に聞き出しているそうです。そのようなことも、私達自身が父を父親としてだけでなく、ひとりの人間として、彼の生い立ちと人間性をトータルに見るようになったからだと感じています。

中でも印象的だったと姉から聞かされたのが、父が小学生のときのある出来事。近所のいじめっ子たちが大きな穴を掘って、面白がってまだ目も開かない子猫をその穴に放り込んだと言います。いじめっ子達より少し年下だった当時の父は、猫の命を見捨てることに心が傷んだものの、どうしてもいじめっ子たちに立ち向かうことができず、その場を離れたことを姉に白状したそうです。たった一つの、時代の違う思い出話。ですが、それを話した父の目の奥には、隠しきれなかった後悔の重みを感じたのか、姉はその話を私に共有ぜずにはいられなかったようです。

小さな少年の心の、小さな引っかかり。その結び目は、恥の重みだったのか、それとも足りなかった勇気の虚しさだったのか。猫の命を救うことのできなかった無力さか? とにかく、父の心の隅には、どんなに小さかったとしても60年以上の年月を越えて忘れられることのなかった気持ちがあったのです。

みなさんも、大なり小なり心の中に“引っかかり”を抱えていることはありますか?

何が正しいか間違っているかといった、社会に教わる良心や判断基準。ルールによって見極められる正解・不正解より、そして自分で折り合いをつけようとするどんな正当化の思考より、確かに時を越えて語り続ける、心の奥の「本音」がここにあると私は思います。

心の奥底の本音は、ルールや法律など、人に作られたどの答案より微細で、ルールや法に引っかからないほど小さなことでも、波紋を響き渡らせることがあります。この本音には、自分の心にしか捉えられない響き、音色があるように思うのです。

私は、これまでに住んだ日本でもインドでも、アメリカでも長年、いつもどこかで自分にとって頼りになる、本当の「師」を探し求めていたと思います。そして、「本物」に近い師ほど「本当の師は自分の中にいる」と指し示してくれましたが、最近、この“本音の音色”こそが全ての人の中にある、静かな師なのではないか? そう思うようになりました。

それは「最も確かな師」であると、私は感じています。彼にとって、彼女にとって、他の誰かにとってどんなに違う答えがあっても、そして他の誰にもあなたの中の本音の音色が聞こえなかったとしても、あなたにとって「これだ」と、ただ響き渡るものがあるのなら、それは確かなサインだと思うのです。説明の及ばない、理屈ではない、心の内の響きだけで感じるもの。けれど、私は経験によって試された機会を重ね、この誰にも説明できない、言葉にすらならない自分の中の本音の音色を、胸の内の師として掲げ、静かに従うことを選ぶようになりました。

人は、毎日大きな決断を迫られる訳ではないけれど、毎日小さく細々した決断をこなしていると思います。ならば、私が心の内で耳を澄ましている私なりの「答え」が、自分の中で響き渡る本音の音色であることは、私と私の中の真実との間柄だと言えます。さらに、今、父の教訓と照らし合わせてみるならば、それは後悔のない人生を生きる唯一の方法だと思えるのです。

私が、私の本音を選ばないなら、私は何のために、なぜ私として生まれてきたのでしょう? そんなことさえ考えるようになりました。そして、恥ずかしがらずに言ってみるなら、私の中の本音の音色は、いつもより大きな愛を指しているように感じています。今日という日を生きる中で、そこにある大きな愛を表そうと響いている本音の音色を妨げ、遮らないこと。父の教訓を受け止めながら、そう胸に誓うのです。

【お知らせ】
吉川めいさんがウィメンズヘルスのイベントに出演!

mei


3月5日(土)16時~吉川めいさんをお招きし、「ととのえる」をテーマにヨガと呼吸法、マインドセット法を学べるオンラインイベントを開催! ヨガマットがなくてもできる程度の簡単なヨガなので、ぜひ初心者の方も気軽に参加してみて。もちろん、ヨガマスターのみなさんも! みんなで、心のクリーニングをして、次の日をより“良い状態”につなげよう。

<概要>
日時/2022年3月5日(土)16:00 イベント開始、17:10 終了予定
開催方法/Zoom ミーティング(画面はオンでもオフでもOK)
アーカイブ期間/3月7日(月)~3月14日(月)
チケット/
①イベントチケット(単体) ¥3,300

②お得すぎる!「整」特別パック ¥10,800

本イベントと「エンドカ」のヘンプオイルドロップス1500mgがセットになった限定パック。
③グッズ+チケット ¥10,668~

イベントの詳細はこちら

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/