あなたが歩む人生の旅路。この旅路において、今日、あなたは二つの扉の前に立ち向かっているとしましょう。ノックできるチャンスは、一回だけ。どちらかの扉しか開けることができません。

一つ目の扉は「天国への扉」

二つ目の扉は「天国に入るためのセミナーへの扉」だとしましょう。

さぁ、あなたはどちらの扉をノックしますか?

先日、ある瞑想指導者のレクチャーを聴いていると、こんな例え話が出てきました。私は、迷わず「天国へ直結する扉!」と答えたいはずのところ、答える前に微妙な「間」をおいてしまった自分の心の動きを、見て見ぬふりができませんでした。

頑張り屋さんで努力家。勉強好きで、前進するための時間や労力の投資を拒まない。自分磨きは、むしろ趣味と言えるほど好き好んでやってきたかもしれません。「天国へ直接行ければいいじゃん!」と思う自分もいるものの、これまでの自分の心の在り方を静かに見なおしたなら、過去の自分は間違いなく「天国に行くためのセミナーへの扉」を何度も選んできたタイプだと分かりました。

今でこそわずかな「間」をおいてしまいながらも「直結ドア」を選ぶと思うけど、過去の自分はきっと自信満々で天国へ入るための準備と自分磨きにせっせと努めるタイプだったことも事実です。もちろん、ここで言う「天国」とは比喩表現ですが、たった一つの選択で「幸せに直結するか」あるいは「もうちょっと自分を高めるために頑張り続けるか」を選ぶとしたら、きっと以前の私のように「もっと頑張って自分を磨くことが大事」と思い込んでいる方も少なくないのではないでしょうか。

staircase in clouds with glowing doorway
Donald Iain Smith//Getty Images

しかし、こうして二択にして並べると、これまでの私の自信満々の選択が本当にベストだったかどうかは、今となっては疑わしかったなと気づかされました。究極の選択ではないのに、なぜ私はこの扉の前で躊躇してしまうのでしょう? それは、選ぶという一見外的な行為が、いかにして私の心の状況を露わにしているか、小さな「間」の沈黙の中で心情を見透かされるように感じました。目的が「天国」だったとしても、これまでの私が「セミナー」を選び、学び続ける姿勢をあくせくしながらも何度も楽しんできたこと、そんなことについても考えさせられました。

「頑張ることは美徳」と幼い頃から教わる日本独特の文化は、世界一のワーカホリックカルチャーを作り上げてきました。頑張ることは決して悪いことではないけれど、頑張り過ぎの限度や危険性についても身をもって体験してきている人もそれだけ多いはず。過度な疲れや睡眠不足。忙しいことを誇らしげに話すのも、どこかでちょっと現代人特有のアンバランスさが感じらます。

与えても与えても、与え終わらない循環に、与えることでパワーをもらえているならいい循環ですが、無益さや無謀さを感じるなら、心や体のバランスを失っている危険信号。セルフケアや休息の取り方などでバランスを考えることも大切ですが、「頑張ることが美徳」というような観念が根強く残るのならば、また頑張り過ぎて与え過ぎてバランスを崩してしまうことを繰り返してしまうのではないでしょうか。また、自分が知らぬ間にそのような観念に縛られている時こそ、ラクな道を選んでいるように見える人に不快感を覚えたり、ジャッジしたくなる傾向も強まると思います。

セミナーの扉を選ぶことは、間違っていることではありません。大切なのは、自分の道を歩むこと。しかしながら、頑張り屋さんがいつしか気づくのは、どんなに素晴らしくても自分を高めることは終わりなき道のりでもあるということ。いつになったら立ち止まって「充分」「私は満ち足りている」「このまま休んでいい」と、自分を心底肯定して、褒めてあげられるのでしょうか? 迷いや罪悪感、そして褒めてあげることさえも頑張り過ぎることなく、当たり前に「私は私であるだけで充分」「頑張らなくても満ち足りている」といった自己価値に浸れるのでしょうか?

ここで「天国」と呼んでいる、「幸せへ直結する道」。その扉をノックするための条件がたった一つあるのだとしたら、それは、開け方について学ぶことでも、それをどうやって手に入れるかの手段でもなく、ただ、その扉を選ぶ自分が堂々とそれをノックできるほどの自己価値を感じているかどうか、ではないでしょうか。そんな本質を、この二択のクエスチョンによって突きつけられたように思います。 

例えば、突然「今、1億円あげる。欲しい?」と聞かれたら、ほぼ全ての人が迷わずYESと答えると思います。

けれど、同じ人たちに「あなたは、自分は1億円をタダでもらうにふさわしい人間だと、骨の髄から感じていますか?」と聞いたらどうでしょう。きっと、解答の様子やそこで見え隠れする内心の思いや気持ちが変わってくるでしょう。

「世の中は鏡である」と心理学的にも言われることがありますが、だとしたら長年天国直結ドアに惹かれることなく、セミナーへの扉をノックすることに安楽を覚えていた私の心と、知らぬ間に身につけてしまっていた自己価値の低さについては何が言えるのでしょうか。

あ〜、ナチュラルに「ただいま!」と言って当たり前に天国への扉を開けたい。では私のように躊躇してしまうタイプの人は、どのようにして自己価値を学べば良いのでしょうか? ついつい「自己価値を学ぶセミナーはありますか?」と聞きたくなってしまうのは昔からの悪い癖ですが、そんな冗談に微笑むのも、その気持ちがわかるからかもしれません。

illustration of ladder reaching a rainbow
Christina Reichl Photography//Getty Images

答えは幾千年も前から変わっていないのです。

ただ、もう一つの扉を選べばいいだけなのです。

Be Happy. ただハッピーであればいい。何の秘訣もトリックもコツもない。ただ、自分で選んで、その道を歩み実践すること。何度でも選んで、何度でも歩み続けること。それに尽きるのです。

ドイツ出身の哲学者でノーベル平和賞受賞のアルベルト・シュバイツァー氏の言葉で「成功は幸せの鍵ではない。幸せが成功の鍵である」という名言があります。

ここで大切なことは「受動的にいつか天国への扉が開くこと」を待っているのでは足りないと言うこと。頑張り屋さんの心には、「これだけ頑張ったならいつかはきっと開くはず」という期待感が隠れていることがあるからです。この言葉が指しているのは、自分の意識を活用し、先に幸せを「取りに行くこと」。そう、自らイニシアティブを取り、選ぶことではないでしょうか。

そのチョイスを前に、ある人はワクワク。またある人はドキドキするかもしれません。

なぜなら、ここで突きつけられている事実は、このチョイスと結果は「自分次第だ」ということだから。多大な自由と自己責任がセットでついてくることに、あなたはワクワクを感じますか、それともドキドキを感じますか?

いずれにせよ、あなたの選んだ道。あなたの人生。

あなたの価値とあなたの喜び。あなたの幸せを、あなた自身に見せてあげられるのは、あなただけ。

私は、そんな日々が益々楽しくなってきている気がしています。先が読めない世の中だけど、天国直結ドアを度々選ぶほど、自分のことを大切にできるようになってきているのだから。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/