「胸が痛い」と言いながら目覚めた、ある朝のこと。当時11歳だった長男は、痛い箇所を押さえるように胸の中心に手を当てました。突然の事故で父親を亡くしてから三年が経とうとしていた頃のことでした。

思い返せば、その前日の朝もいつもとは違いました。些細なきっかけで私は息子を叱り、息子は叱られ……。どちらも決していい気分ではありませんでした。

「朝起きたらベッドをきれいに直すこと。きちんと朝食を食べて歯磨きを済ませてからでないと、パソコンを開いてお友達とつながるゲームをしてはいけません」。どこをとっても大ごとではなかったのですが、家庭において大切にしたい基本が詰まっていました。

口で言うだけでは伝わりきらないことがある時、我が家ではジャーナリングを使います。それは1ページの反省文なのですが、課題は、彼の言葉でしっかりと

  1. 何がいけなかったのか
  2. それはどのような影響を及ぼしたか
  3. それについて彼自身は何を思っていて、今後どう改善していくつもりなのか

についてまとめること。小学5年生の彼は書くことが好きなタイプではなかったので、そのジャーナリングはやや重たいタスクとなり、少なからず本人は「罰」のように受け止めていたでしょう。しかし、このメソッドは我が家に合っていたように思います。成長過程の息子の内観を促す他、苦手なペン習字と作文の練習となっていました。

この日のジャーナルの仕上がりは格別でした。日常の習慣について書くのかと思いきや、彼の視点は「暮らしのクオリティの向上を目指すために、いかに物事の優先順位が重要か」でした。まっすぐな悔恨の表明から始まった、最初の一文。そこから、自分の日頃の行動パターンの改善は「電化製品以外の物に、いかに人生の美しさを見出せるかが鍵を握っている」と熱いパッションで述べていました。大人にも書けないような正直かつ丹念に表現されたエッセイに私は感銘を受け、声に出るほど笑わせてもらいました。そうして、お互いあっさりと叱り叱られの険悪ムードを水に流すことができたのでした。

その晩、夫の三周忌が近かったこともあり、笑いの延長線でパパのことをたくさん思い出して話しました。パパとは毎日笑い転げて過ごしていたから、温かい繋がりを感じながら、心の感覚で思い出しやすかったのでしょう。そのせいか、おやすみなさいを言った後、息子の部屋からシクシク声が聞こえてきました。小刻みだった泣き声は、次第に大きな喚き声になるまで高まっていました。

「パパに会いたい…。パパに会いたい! ママ、なんでパパは死なないといけなかったの? なんでこんなことになっちゃったの?」

感情の荒波は私たちにのしかかり、津波に飲み込まれるように息子は何度も同じ言葉を繰り返しました。私はベッドに潜り込み、息子を抱きしめました。ただ抱きしめ、彼をそのまま居させてあげました。

どんなに激しくても辛くても、彼の想いや感情を止めたり、抑えたり、変えようとしたくなかったから。ただ背中をさすりながら、子供と大人の中間くらいの中途半端なサイズの頭を私の腕に乗せ、喚き嘆く息子にそっと、唱えるように語り続けました。

「あなたはなんて愛されている子なんだろう。なんて愛されているんだろう。パパもママも、あなたがあなたでいてくれることが誇りなんだよ」と。

「そのまんまで素晴らしい子。何ひとつ変えなくていいからね。あなたの気持ちはとても大事。一つ残らず、全ての気持ちが大切なのよ。だから、何も変えなくていい。あなたも。あなたの中の感情も。全部そのまま、居ていいからね」

そう、包み込むように繰り返しました。

ひと昔前の私だったら、強烈な感情の荒波に襲われるような状況で「何一つ変えなくていい」なんていう発想はまずなかったことでしょう。ダークな感情に飲み込まれている最愛の人を目の前にして、自分の心も揺れ動いたと思います。

その日の私が違ったのは、私自身の悲嘆の想いのおかげ。息子の嘆きを抱く前に、自分自身の張り裂けるような嘆きを幾晩しのいできたことか。愛する人を失くすことの深い悲しみであるグリーフは、避けることのできない、誰もがいつかは体験することなのでしょう。そんな悲嘆の想いがとてつもなく大きすぎて、私はどんなに時間がかかっても、何度深い悲しみや悔やみの感情が出てきても、許すことしかできなかった。その時は分からなかったけど、闘うことも抵抗することもできないほど強い感情を全身で体験し、目を背けずにその全てと共に在りました。そうしたら、何より自分自身の許容量が莫大に広げられたように思います。

そうやって私がグリーフから学びつつある最高のレッスンは、自分の存在が、私の気づきが、全ての感情をあるがままに許すことができるほどデカいということ。私自身がそれを必要としていたからなのですが、おかげで息子にも、他の人にも、様々な想いや感情、状況に対する許容スペースが広がり、自分は本質的に「スペースがなくなってしまうほどちっぽけな存在ではなかった」ということを体験的に知りました。

遠い雪山の中で歩く足を止めた瞬間、包み込む静けさの存在がいつもあったことに気づかされるように。あの晩も、嘆く息子をただ抱き、隣に居ただけで、ブランケットのように完全な静けさの存在に包まれる感覚がありました。

「僕、死にたい。ママ、僕は死にたい。僕のことを殺してくれる?」

息子の吐いたそんなセリフにさえも怯まず、動じかなかった私。そんな思考もそっくりそのまま許可するように、抵抗せず、闘わず、「そんなこと言わないで」とも言わず、ただ居させてあげました。それは、自分の心も似たようなセリフを吐いたことがあることを自覚していたからかもしれません。

だって、もしそれがその瞬間に彼が感じていることなら、それを拒否することは彼の中の一部を否定してしまうからです。彼の心にはそれだけ悔やむ権利がある、そう私は考えます。それも、彼がどれだけ深く愛したかの証でしょう。痛みも苦しみも、悔やむことも。全ての想いは個人の心に属するモノであり、例え自分の子供であってもそれを取り除いてあげることはできません。私の苦しみを、誰も取り除くことができなかったように。どんなに小さくても彼自身が通らなければならない道のりを見極め、尊重することができました。だから私は、彼のために心の内で精一杯の祈りを捧げ、ただ、どんな状態であっても目の前にいる彼を愛し続けました。それだけが、私にできる最高、最善のつとめだからです。 

「愛しているよ。あなたはとても愛されているんだよ。あなたはそのままでいて、なんて愛しやすい存在なのでしょう。ただ、あなたがあなたで居るだけで」

そっと唱えるように、語り続けました。

「パパやママだけでなく、お友達もみんな。世界中の人だって、あなたにあなたでいてもらう必要があるんだよ。あなたになれるのは、あなたしかいないからね。

大切な人。大切な存在。

“パパはなんで死なないといけなかったの?”と聞きたい気持ちも分かるけど、

今は“なんで”を聞く時ではないのかもしれないね。いつかまた別の時に、その時が来るかもしれないけど。

愛しているよ。

あなたはなんて愛されている、愛らしい、愛の存在なのでしょう」

そんな言葉を浴びさせ、ただ隣で抱いていただけ。あとは言葉を越えて私はここに居るよって、彼に感じてもらいたかったから。

しばらく経つと、息子はベッドサイドのティッシュに手を伸ばしました。わずかに感情の勢いが引きはじめた隙を逃さないように、私は言いました。

「いい? たくさん泣いたら、寝る前に今感じている全ての想いや感情を全部ひっくるめて、明け渡すの。空へでも、海へでも。天国のパパへでもおばあちゃんへでもいいから。寝ている間は、あなたの気持ちを全部預かってもらいなさい。あなたが明け渡すことさえすれば、あとは大きな彼らが受け取ってくれるから。分かった?」

そっと頷いた息子は、ヒックヒックをもう1、2回して、スッと目を瞑り、眠りにつきました。

翌朝の息子は、スッキリした安らかな笑顔で目覚めました。子供ってなんて「今を生きること」が上手なのでしょう。それなのに「胸が痛い」って手を当てているから、どうしたものかと思ったら……

「愛されすぎて胸が痛い。僕、耐えられないかもしれない」と本気でつぶやくのです。

「あぁ、そういう痛みね。それは、ある種の成長痛だね。」息子の手を引き、窓を開けてテラスに踏み出しました。

「ここでしょ?」胸の中心の位置を確認するようにそっと触れ、朝日が正面になるように東へ向きました。「そんな時は、こうしたらいいんだよ」と、十字架を重ねるように背後から体を並べ、左右の手を掴み両腕を大きく広げた私たちの心に、春の日差しは豊かに降り注ぎました。 

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/