8人家族にトイレひとつ。

それは、私の人生の最初の10年間ノーマルでした。四人兄弟と父と母。そして、父方の祖父母と一緒に暮らした一つ屋根の下。賑やかで楽しいこともたくさんありましたが、我が家は決してあまり「落ち着く場所」ではありませんでした。

三世代をまたぎ、日本語と英語の二言語が飛び交う環境は、家庭内ダイバーシティとでも言えるでしょう。我が家ではトイレだけでなく、リビングや食卓だって競争のようにワイルドになることがありました。

中でも、どうしても忘れられないワンシーンがあります。それは私が8歳の時のこと。十歳年上で、当時18歳だった長女の姉と母がダイニングテーブル越しに大声で喧嘩をしたのです。左利きの姉が思いっきり体を伸ばし、テーブル越しに母の頬を強く叩いた時。全身にショックが走り、棒立ちした私の目に次に入ったのは、一瞬の間も置かず、同じ強さで姉の顔を叩き返した母の姿でした。

私はたまたまその場に居合わせてしまっただけで、自分が巻き込まれてしまうような身の危険を感じた訳ではなかったのですが……。全力でお父さんに「止めてほしい」と願ったことをよく覚えています。しかし、父は迫力負けしてしまったのか、二人の間に入ることはなく、リビングの椅子で新聞紙を広げました。

あれから何十年も経っているのですが、瞑想で座っていると、柔らかな心の土壌にふとこのシーンが浮上することがあります。日常で思い出すほどの記憶ではないし、長年些細なことのように片付けていたのにも関わらず。いや、もしかすると適当に片付けて済ませていたからこそ、静けさの中で「もう一度観てね」と招かれるように見せられるのかもしれません。瞑想やマインドフルネスで心の内のパターンや反応を「観る」スタンスを練習し続けていると、次第に心の中に贅沢なゆとりが広がるように、知らぬ間に堪えていた微細な緊張や強張りまで、浄化されるように湧き上がってくるようです。

昨年春、アメリカの著名人オプラ・ウィンフリー氏との共同著書 “What Happened To You?: Conversations on Trauma, Resilience, and Healing”を出版した心理学者のブルース・ペリー博士は、トラウマについて以下のような最新の定義を明らかにしています。

大文字の「T」で書くトラウマとは、一般的に多くの人が思い浮かべるトラウマで、虐待やネグレクト、天災や死に関わる体験を指します。

それに対し、小文字の「t」で書くトラウマは、例えば、愛のある家庭に生まれ育っても、ずっと合わない学校に通わされていたり、肌の色や性別、そして宗教など様々な事由によって部外者扱いを受けた場合などがあります。実はそれは、大文字「T」のトラウマと同じような感情的、身体的、社会的影響を引き起こします。また、そのようなことが長期的に継続すると、小文字「t」のトラウマであっても大文字「T」のトラウマと全く同じ変化を脳に及ぼすのです。 

そう考えてみると、いわゆる身の危険や虐待などのトラウマ体験ではなくても、例えば、よく親に大声で叱られていたとか、外に立たされるような体罰を受け続けたとか。あるいは私のように敏感で、場の空気感から「安心できない」という感覚を受けてしまったなど。小文字「t」のトラウマを心に抱え続けている方は非常に多いと思います。

あの時「何も言えなかった自分」「何もできなかった自分」。あの頃は幼すぎて言語化するどころか、そこまでの自覚意識も発達していませんでしたが、私の心は確かに無力さや惨めさ、そして無価値を感じたのだと思います。そして、長年ずっと未処理だったその感情の及ぼす神経のテンションが、小さな擦り傷を重ねたトラウマのように保管されていたのだと思います。

家庭環境において、本当は欲しかったけど受け取ることのできなかった安心や安全は、重ね重ね同じところに擦り傷を与えるような、細かな心の傷を作るのでしょう。すると、その心の箇所を守るように微妙な神経のテンションを抱えたまま大人になってしまいます。過去の出来事を重要視することなく過ごしていても、神経システムがその記憶を宿らせていると、例えば会社で叱られることがあったり、他の人が言い合いになっている場に居合わせてしまった時に、過敏に反応してしまうことがあるでしょう。

小児心理学の観点から見てみると、子どもは新しいことにチャレンジしたり、新たな人間関係を築き上げるために必要なリスクを取るために、基盤となる「安心・安全」を感じて育つことが極めて重要だと言います。それは、安心・安全を感じることで、よりよく学ベる、ということを指しています。また、安心・安全を感じられないで育った子どもが探究心を失ってしまうことや、仲間との関係性が難しくなりやすいという調査結果も出ているそうです。それは全部大人も同じではないかと思うのです。

「安心、安全」

工事現場の張り紙のようなこの言葉。それがいかに必要不可欠なものか、今になって思うことがあります。そこで、大人になった私たちが次の世代のためにのびのびと安心・安全を感じられる環境を作るだけでなく、私たちが自分自身のために安心・安全を優先的に考えた暮らしを作り上げられるように。小児心理学の勧めからヒントをもらい、大人である私たちに有効であるよう、私なりに5つの点にまとめてみました:

  1. 自覚意識を育む
    「気づいたことは、変えられる」とは、私がよく瞑想やマインドフルネスのプログラムの中で話す言葉です。その反対を考えてみると、「気づいていないことには翻弄されたまま」とも言えます。まずは自覚意識を持って自分の状態やパターンを観て、気づくこと。ここで、瞑想やマインドフルネスの練習が役立ちます。
  2. スキンシップを使ったグラウンディング
    神経システムのレベルでソワソワや不安感がループしてしまう時。体を使って、自分の手で体を撫でてあげたり、大切な人とハグをするなどの温もりを大切にすること。子どもを抱きしめてあげることはもちろん、ペットとのスキンシップも神経の強張りを解くエモーショナルサポート効果が期待できます。

  3. ニュースを含む、メディアから取り入れる暴力的な映像や画像を最小限に抑える
    メディアを介して触れる情報は、必ずどこかで誰かがキューレーションしているもの。ネガティブな情報や恐怖感を及ぼすような刺激が強い情報に垂れ流しで浸かってしまわないよう、自分の心が平安を保てるバランスを自分で守りましょう。
  4. 自分の味方になるセルフトークを
    お友達や家族など、自分は愛されている存在だと感じさせてもらうこともとても大切ですが、最も重要な自分の存在価値や肯定感をずっと人任せにしてしまわないように。心の内のセルフトークから、自分の味方になるように心がけましょう。
  5. 本当に困った時は独りで悩まずにプロの力を借りましょう 
    心の問題は、大文字「T」のトラウマに至らなくても様々です。あなたが主観的に辛いと感じることであれば、それは他の誰にもジャッジできるものではありません。周囲に合わせたり、独りで我慢を重ねないよう、困った時はその道のプロのサポートをもらいましょう。

    骨の髄から安心・安全を感じられる時。それって、人の最善を引き出すことだと思います。神経のビクビクやソワソワが当たり前のように慢性化してしまう前に、もう一度。そして何度でも。素直に自分の心に優しさを向けてみたならば。時間をかけてでも解き、溶かしていく価値のある世界にたった一つしかない、あなたの本当の姿に出会えるのではないでしょうか。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/