先日X(元ツイッター)で、仕事メールには感嘆符「!」「ありがとう」「ごめんなさい」を使うべからず、という女性向けのアドバイスを見た。必要以上に謝るのは女性の癖と思われているけれど、実際は現代人全員に言えること。マスコミを前にした有名人の謝罪会見はいつだって大袈裟だし、私たち一般人も謝ってばかりいる。「お弁当温めるのに時間かかっててごめんね、電子レンジもうすぐ空くから」「バスに乗るときぶつかってしまい、失礼しました」「申し訳ないけれど、職務をまっとうしてください」-ほらね?

みんな(若い世代は特に)すぐ怒るという思い込みから、私たちは何に対して謝る必要があるのかを考える前に謝っている。ところが、本当に自分が何かしでかして人間関係を修復する必要があるときは、なかなか「ごめんなさい」が出てこない。

カナダ出身の社会学者マヤ・ヨヴァノビッチ教授によると、何を言うにも「ごめんなさい」から始める現代人の習慣は、その謝罪そのものを無効にするばかりか、その人のセルフイメージを傷つけて、その人が言わんとしていることの価値や重要性を下げてしまう。これはつまり、普段は無意味な「ごめんなさい」を投げ合って、本当に「ごめんなさい」が必要なときは口をつぐむという生活を続けていたら、私たちの自尊心と人間関係が危険にさらされてしまうということ? イギリス版ウィメンズヘルスから見ていこう。

「ごめんなさい」を乱用してしまう理由

「謝罪は、私たちが自由に使えるもっともパワフルな社会的ツールの1つです」と説明するのは、米ピッツバーグ大学の心理学助教授で謝罪の美学を研究しているカリーナ・シューマン博士。「謝罪は良好な人間関係の維持に役立ちますし、良好な人間関係を維持するのは人類にとって重要なことです」

実際は重要どころの話じゃない。人間の脳にはもともと、社会的な交流を円滑にするためのプログラムが組み込まれている。だから謝罪の言葉は、自分の意思でというよりむしろ反射的に出てくる感じがするのだ。不必要な問題を起こしたくないという人間の衝動は、進化論的に見ても理にかなっている。人類が種として繁栄したのは、他の種より強かったからでも速かったからでもなく、結束してチームとして働くことができたから。

私たちの多くは人口密度の高いエリアに住んでおり、対面であれオンラインであれ、歴史上かつてないほど多くの人と日常的に交流している。そのため、謝罪を含む私たちのコミュニケーションの取り方は常に変化していると言っていい。

これまでの研究結果を見ると、礼儀正しくも意味のない謝罪は見知らぬ人と仲良くなる上で重要な役割を果たしている可能性があり、そのような謝罪には脳内化学物質が関係している。とある研究では、科学者たちが謝罪を受けた人の脳をスキャンしたところ、共感に関係する脳の領域が活性化して、愛情ホルモンの異名を持つオキシトシンの分泌量が増加した。つまり、誰かに謝られると体内にオキシトシンの波が押し寄せるため、ほぼ一瞬で緊張がほぐれ、攻撃性が低下して、よりオープンな気分になれるということ。じゃあ、謝罪を“する側”にとってのメリットは? 「謝罪は自意識に大きな影響を与えます。言うべきときに『ごめんなさい』と言えば、良いセルフイメージを取り戻すことができますよ」とシューマン博士。

謝罪が多すぎたり少なすぎたりして、そのようなメンタルヘルス上の恩恵を受け損なうのはもったいない。ヨヴァノビッチ教授とシューマン博士によると、謝りすぎは逆効果。謝りすぎると「あなたの能力に対する認識が犠牲になるかもしれません」とシューマン博士。要は、会議を開くたびに謝ったり、友達に頼み事をする前から謝ったりすると、あなたの能力や価値が低いように思われてしまうということ。特に女性は男性よりも謝り癖が強いので注意が必要。

「男性も女性も自分の過ちが謝罪に値すると判断した場合は謝罪するという研究結果があります」とヨヴァノビッチ教授。「男性は『ごめんなさい』と言うのを避けているのではありません。謝罪に値すると判断する基準値が女性よりもはるかに高いというだけです」

ヨヴァノビッチ教授は、謝りすぎがメンタルヘルスに与える影響をインポスター症候群と関連付ける。「何かにつけて謝らなければならないと感じるのは、女性に多いインポスター症候群に付随する恐怖や自己不信、自分に対する自信のなさから来る症状に過ぎません。謝罪には自己成就的予言の性質があるので、謝れば謝るほどインポスター症候群の症状が出やすくなります。口癖や礼儀正しさで済めばいいのですが、謝りすぎることの影響は絶大です」

マーケティング担当のレイチェル・ミラー(28歳)が自分の謝り癖を治したのは、それが自分の評価を下げていると感じたから。「私が昇進を逃したのは、必要以上に謝る癖があるからだと思っています。クライアントに向けたプレゼンを『すみません』で始めてしまったときのことは忘れもしません。そのあと上司からイライラした面持ちで『プロ意識に欠ける』と言われましたが、いまは私も同感です」

謝り癖を治す上では、男性だけのチームで働いていたことが功を奏した。「彼らはいちいち謝罪の言葉を口にしません。その理由はともかくとして、いちいち謝らないぶん気持ちの切り替えも早いんです。だから彼らの真似をして、いちいち謝ることなく自分の言いたいことを言い、プレゼン中に自分の言っていることが分からなくなっても分かっているフリをするようになりました。そのおかげで、前よりも責任のある仕事をさせてもらえている気がします」

逆に「ごめんなさい」が言えない理由

じゃあ、「ごめんなさい」が喉につかえて言えないときがあるのはなぜ? 「大きな過ちに対して謝罪するのが難しく感じるのは、それが自分に欠点があることの反映だからです」とシューマン博士。「そして『ごめんなさい』と言ってしまうと、その欠点(能力不足、判断ミス、不誠実さなど)を自分で認めることになります」

「自分の欠点は自分の自信に関わってくるので、なかなか認められません。欠点が見つかりすぎると、長い間、自分に自信が持てなくなります」とシューマン博士は続ける。それがうつ病につながって、自分を嫌いになったり尊重しなくなったりする。それどころか、自分の判断を信じられなくなって、過去の過ちにとらわれてしまうこともある。「重大なミスをしたにもかかわらず、謝ることに抵抗を感じるのはそのためです」

イギリス版ウィメンズヘルスのファッションアシスタント、アビゲイル・ブキャナン(22歳)は自称“連続謝罪犯”。でも、本当に謝ったほうがようさそうなときだけは謝れない。「私は、いつも不必要に謝ります。お客さんに夕飯を出すときは不味かったときのために謝り、誰かが『今日は嫌なことがあった』と言ったときは同情心から謝ります。でも、自分が本当に間違いを犯したときは、謝ることに抵抗を感じます。彼氏や両親といった親しい人に対しては特に、自分の弱みを見せまいとする傾向があります」

アビゲイルが口をつぐむのは自己防衛のため。「セルフモニタリング能力が高い人(人の目をものすごく気にする人)は、何か間違ったことをしても謝らない可能性が高いです」。これは身近な人に自分がどう思われているかを気にするがゆえの行動。

ヘレナ(31歳)は白ワインを飲みすぎたあとに彼氏と別れた。「最悪でした」と彼女は当時を振り返る。「くだらない大喧嘩が始まって、私は酔いと怒りに任せて思ってもいないことを散々ぶちまけ、しまいには『もう一緒にいたくない』と言って家を出ました。彼は追いかけてきませんでした。あれだけ侮辱されたんだから当然です」。その翌日は朝から後悔でいっぱいだった。「謝らなければならないのは分かっているのに難しくて。2週間経ったいまでも彼に電話する勇気が出ません。惨めです」

これは自分の頑固さのせいでパートナーを失ったという極端なケース。でも、ヘレナが膠着(こうちゃく)状態を打破するためには? ヨヴァノビッチ教授によると、こういうときは謝ることに抵抗を感じる理由を考えてみるといい。「単純にアンフェアだからなのかもしれませんが、謝ることに抵抗を感じるのはおそらく何かが気に障っているサイン。あなた自身とあなたが置かれた状況に関する重要な情報を得るための手がかりです」

気が進まないかもしれないけれど、これは非常に大事なプロセス。「自分の過ちを認めて謝れば、その出来事を乗り越えて前に進み、その過ち自体の悪影響を和らげることができます」とシューマン博士。「逆に責任逃れをしようとすると、そのぶん状況が悪化して、心の中で自分のことを悪く言うようになります。そうなると、ただのミスが自分という人間に関わる問題になってしまい、それがメンタルヘルスに大きな影響を与える可能性が出てきます」

過去のツイートが掘り返されて、有名人や大手企業が公式謝罪会見を迫られる現代では、「ごめんなさい」という言葉が本来の意味を失うばかりか、不必要なストレスを引き起こすこともある。世間の注目を浴びている人に至っては、評判が悪くなることを恐れるあまり、何ひとつ悪いことをしていなくても「ご迷惑・ご心配をおかけして申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にする。

SNSマネージャーのエミリー(25歳)は、インスタグラムとツイッターにそれぞれ1万5千人のフォロワーがいる新進気鋭のインフルエンサー。「騒ぎを引き起こすのは本当に簡単で、人は何が起きているのかも知らずに押し寄せてきます。例えば、おなかを空かせたクマの漫画を冗談のつもりで投稿したら、世界の一部の地域ではクマが絶滅しかかっているという事実を軽く考えていると言われたことがあったのですが、そのコメントに30件以上の“いいね”とリツイートが付いたんです。ショックでしたね。そのときは『もちろん、私はクマが直面している苦しい状況を軽視しているわけではありません』と言って軽く謝りましたが、いつの間にか『私の勘違いだったら申し訳ないのですが......』とか『意味のない話だったら申し訳ないのですが......』という一文で投稿を始めるようになりました」

彼女たちの経験から何か1つ学ぶとすれば、それは「ごめんなさい」は本当に必要なときのために取っておき、その言葉に何らかの意味を持たせること。でも、バカなことはできるだけ最初からしないようにして......。

本当に謝ったほうがいいときの謝り方

何かに遅れてしまったとき

「数分なら『待っててくれてありがとう』でいいかもしれませんが、人の時間は貴重ですから、遅れたときは何らかの方法で相手の時間の価値を認識する必要があります。遅れた理由を説明するのもいいですし、それを知りたがる人もいますが、それが自分を守るための言い訳にならないようにしてください。まずは自分のミスを認め、場合によっては、もう二度と同じことが起こらないという安心感を相手に与えてあげましょう」(シューマン博士)

「ちょっとした不都合を生じさせてしまったときは、謝る代わりに感謝するといいでしょう。『お待たせ、待っててくれてありがとう』と言う人は多いですよね。これは謝罪の言葉が含まれていなくても良いケース。人は感謝されるのが好きですし、自分が“待った”という事実も認識してもらえています。この方法なら、自分の小さなミスを否定的に捉えることなく、その状況を修復することができます」(ヨヴァノビッチ教授)

友達を傷つけてしまったとき

「一番大切なのは相手の立場に立って考え、相手にはそれがどう感じられるかを理解しようとすることです。友達を傷つけてしまったときは、その人の気持ちを認識して否定せず、自分の行動を謝罪しましょう。それが善意で取った行動であったとしても、その行動が与えた影響について謝罪します。あなたがその友達と2人の友情を大切にしていることが伝わるように、しっかり心を込めてください」(シューマン博士)

「『あなたがそう感じたのなら申し訳ありません』と言うのは、謝っているようで謝っていない(むしろ『そんな風に思われて残念です』の意味が強い)のでNG。友達を傷つけてしまったときは、純粋に『あなたの気持ちを傷つけてしまって本当にごめんね』『無神経でごめんね』と言いましょう。相手がどう感じたかを説明してもらい、相手が言ったことを復唱すれば、あなたが相手の言葉を理解していることが伝えられます。あなたが与えたダメージの大きさを過小評価していると思われないようにしましょう」(ヨヴァノビッチ教授)

口論の最中ではあるけれど、自分が間違っていることが分かっているとき

「自分の間違いを自覚しているのなら、それで問題は半分解決したようなものです。自分が悪いと分かっているのに気付かないフリをせず、その事実に向き合って自分の間違いを認めましょう。自分が守りに入っている状態で、相手からオープンな反応は返ってきません。大事なのは自分が最初に過ちを認めることです。相手も悪いような気がしていても、自分は自分として考えましょう」(シューマン博士)

「自分の間違いは認めなければいけません。嫌味っぽいことを言ってしまう日や、やたらとげとげしい態度を取ってしまう日は誰にでもありますが、それで人を傷つけたことを認められるだけの強さを見せれば、人は感謝してくれます。もう二度と同じ間違いをしないという意思表示として、自分が何を変えるつもりか、例を挙げて説明しましょう。そういう前向きな行動は、あなたの誠実さを伝えてくれます」(ヨヴァノビッチ教授)

※この記事は、イギリス版ウィメンズヘルスから翻訳されました。

Text: Alexandra Jones Translation: Ai Igamoto

Headshot of Aoi Nakashima
Aoi Nakashima
エディター

アシスタントエディターとして、主にSNS周りを担当。ウィメンズヘルスを一緒に作るコミュニティー、Fit Girlsのコミュニティリーダーも担う。セレブ・ファッション・フードなどのカテゴリーの中で、トレンドを日々リサーチし、投稿や記事へとつなげる。特技は20年続けた硬式テニス、最近はランニングとボクシングにも夢中。座右の銘は“一日一幸”♡