「ジャッジしない」とはヨガやマインドフルネス的な考え方に触れるとよく耳にする言葉です。人や自分自身を批判することや、物事の善し悪しを主観で判断する基準を卒業できたら、心はよっぽど軽くなるはず。だからこそ、バーバラが勢いよく発した、

「ジャッジが出てくる時って、大好き!」といった発想は、私にとって目から鱗でした。

バーバラは、今年に入って私が初めて受けたコーチングのメンターに当たる、経験豊富な年上の女性。サクセス・コーチとして活躍する中で、心の働きやマインドセットを整理し、目的達成に向けて動かしていくことのプロフェッショナルです。そんな彼女が「ジャッジが好き!」とは!? 驚きでした。

当然ながら、バーバラは「進んでジャッジしましょう」という意味で言ったのではありません。むしろ、「ジャッジが出てくると、その瞬間に心の伸びしろが明らかになるから、ワークを進めやすくてありがたい! だから、ジャッジをウェルカムする」という意味で話したのです。

ジャッジとは、「あの人は〇〇だからいけない」「あのようなことは〇〇だから良くない」などと判断を下す、批判や批評の心の声。一般的には他人や環境、そして出来事などをジャッジすることを指しますが、同様にジャッジの矢印を自分自身に向け「自分のこういうところは良くない、消したい」などと裁くこともよくあります。それはセルフ・ジャッジに当たります。

前提として理解すべきポイントは、全てのジャッジは「分離」を起こし、また「分離」から生まれているということ。相手をジャッジすれば、ジャッジと同時に「自分はそれとは違う」といった観念を持つことですし、このような心の距離は自分と相手の間に溝を作ります。セルフ・ジャッジの場合は、自分の心の中で分離が起こります。「許せること」と「許せないこと」、「受け入れられる部分」と「受け入れられない部分」を裁き、心を分離させてしまいします。つまり、ジャッジ=分離と言っても過言ではありません。

しかし、バーバラのように、それを「伸びしろ」として捉えてみるとどうでしょう? 

「ジャッジしている自分」に気づいたらまず、なぜ、私はその人・モノ・事をジャッジする必要があるのか?  を問うことです。

例を挙げて紐解いてみましょう。

私は以前、“チャラいタイプの人”が苦手で、心の中でジャッジの対象になっていました。特に、サーファーだったり(サーファー=チャラいという訳でもないのに……サーファーさん、ごめんなさい)、女癖の悪い上、ちゃんとした仕事についてなさそうな人が勝手なジャッジ対象になっていました。私が何かをされたという訳でもないのに、私は自動化された思想によって、”チャラいタイプ”をジャッジしていました。

既にジャッジしてしまっている人に「ジャッジするな」と言っても、それはなかなか上手くいかないでしょう。こんな時、バーバラの発想で、ジャッジを自分の心の「伸びしろ」と捉えてみるのです。私の心には、「自分はチャラくなりたくない」とか、「チャラい人は危険だ」とか「チャラい生き方は害を及ぼす」といった恐れが隠れていることが分かりました。ではなぜ、私は”チャラいタイプの人”にそれほどまで引っかかりやすかったのでしょうか? 少し探ってみると、 それは私が過去に「無責任な人のもとで傷ついた経験があるから」ということが浮き彫りになりました。

「その人」に直接何かをされた訳でもないのに、一括りに「同じようなタイプ」の人を分類してしまう。冷静に考えるとおかしなことですが、「アーキタイプ」として理解すると心理的な反応が分かりやすくなります。アーキタイプとは、特定の種類の人や物事に共通する典型的な特徴やパターンのこと。一般的には、アーキタイプは私たちが世の中の営みを認識し、理解することを助けてくれているものです。

しかし、過去にそのアーキタイプの人に傷ついた経験をしていると、それによって刻まれた自分の価値観に、「その類の人は良くない、危険だ」という信号が走ります。例え私を過去に傷つけた人が「サーファー」ではなかったとしても、そのアーキタイプにフィットすると、心理面においては同様に分類されてしまうのです。多くの場合このような分離の基準(価値観とも言えます)は、幼少期の自己形成の途中、潜在意識に蓄積されることから、後に自分の物事の見方や捉え方を色付けるものへと発達します。

マインドフルネスを使って、自ら自分の思考や思考パターンに気づき、見直していくワークの要は、まさにココです。知らぬ間に恐れに基づいたパターンを繰り返してしまっていることに気づいたら、アウェアネス(自覚意識)を持ってそれを変え、選び直すというチョイスが生まれるからです。 

中には、ジャッジをして何が悪い? と、自分の考えを変えたくない気持ちが働く方もいるかもしれません。それもごもっとも。ヨガやマインドフルネスなど、心を解いていくことのメソッドが私たちに教えてくれるのは、「ジャッジをしてはいけない」といった禁戒のような掟ではありません。「ジャッジし続けること」も、実は「ジャッジを卒業すること」と同様に一つの有効なチョイスなのです。

しかし、ジャッジを続ける心を持ち続けることって、自分にとってもあまり心地良くないことです。人・モノ・事をジャッジしてしまうのは、私の中の過去の傷が呼び起こしている波紋。そう理解すると、ジャッジを放置することは、癒えていない傷を放置することと同じなのです。

また、人をジャッジしている内は、自分の心の中にも分離があることを示しています。例えば、以前の私のように「チャラい人にはいいところなんてない!」とジャッジしていた場合。ジャッジの対象となっているアーキタイプの「ポジティブな側面」をあえて書き出してみます。最初は心が反発を起こし、苦手な人の良い側面なんて考えたがらないのですが、冷静になってみると、チャラい人のポジティブな側面もたくさん思い当たることがありました。考え過ぎないこと。天真爛漫なこと。明るくて、軽快さがあること。嫌なことがあっても根に持つタイプではないこと。真面目過ぎず、人生を楽しむことが上手なこと! ……など。

ここまで書き出すと、ちょっとびっくりするくらい自分があまり得意としていない要素を持ち合わせている人であることが明らかになりました。それはつまり、自分の中で分離を起こしていて統合できていない要素だからこそ得意としていないのです。そういった意味でむしろ私は“チャラい人”から学べること多し! と思えたのです。

自分が受け入れ難いと感じるアーキタイプについて、ネガティブな側面のみならず、ポジティブな面まで拒絶してしまっていたこと。それは、ネガティブだけしかない人はいないこと。また、ポジティブだけしかない人もいないといった、自然界の法則です。私は、自分の過去の傷によってネガティブな側面ばかりに反応してしまっていたけれど、ポジティブな側面も併せて観ることができると、中庸に戻ります。

こうして自分の中のジャッジを見直すことは、自分を癒すきっかけになるということ。また、そもそもジャッジの現象の背景には心の傷があることことが分かったなら、人にジャッジされた時も、「その人の心の古傷が反応してしまったのかも」と、下手に影響されすぎずに捉えることができるでしょう。

心の傷がさらなる傷を引き起こす。分離がさらなる分離を引き起こすような現象を、アメリカ人の作家、エスター・ヒックスさんは “chain of pain(傷みの連鎖)” というフレーズを使って話します。不本意に傷みの連鎖をつないでしまわないようにするためには、まずジャッジを引き起こしている分離の目線に気づくこと。そして、オープンマインドで新たな視点を取り入れてみることです。私は、急にチャラいタイプのお友達が増えた! という訳ではないのですが(笑)、少なくとも心の中のジャッジ対象者が減っていることは確かです。裏を返せばそれって、自分にとってより生きやすい世の中を作っていること。平和な世の中を作ることって、やっぱりこうして自分の心から始まるんだなぁと、心底感じた気づきの機会でした。

Headshot of 吉川めい
吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/