「あなた達はなんてラッキーなの! 今晩がアリバダなのよ」今にもメガネからはみ出しそうなくらい大きく目を開いた彼女は、驚きを隠せず声を上げました。黄土色のカーゴパンツにポケットだらけのベスト、泥の付いたブーツ姿の彼女は、長年亀の生態を研究しているスイス人の生物学者でした。

場所は、中米コスタリカの太平洋沿い、ナンシーテ海岸の近く。アリバダとは、世界でひと握りの場所でしか起こらないほど珍しい、姫海亀が集団で一夜に同じ浜を訪れ産卵する自然現象です。当然、日にちが決まっている訳ではなく、予測の難しいアリバダを研究するために、彼女はおよそ二週間分の自分の水と食糧を持ち、覚悟を決めて僻地にあるその小屋に滞在していたのです。

アリバダは、年に一度。秋口の満月に向かって月が満ちてゆく3/4の時に起こると彼女は教えてくれました。最初は数匹の亀が浜に訪れる夜が二晩ほど続き、三日目になると一挙に何千頭もの亀が産卵しに押しかけるという。その浜に、私と同伴していたカメラマン兼ディレクターのヤスは、まさに三日目の夕方にたどり着いたのです。

2003年のこと。私はエコと平和をテーマに世界の僻地を巡る旅チャンネルの番組にトラベラーとして出演していました。番組は「セレンディピティ」というコンセプトを持っていて、ガッチリ行き先の予定を組まず、人との出逢いを鍵に、その人に次の人を紹介してもらうという、信じられないほど緩やかな香盤表しか持っていませんでした。

そして、予算もあまり持っていませんでした(笑)。ですので、行く先は全て私とヤスのみ。安いホステルに泊まることもありましたが、紹介してもらった人の家に泊まらせていただくことも多々ありました。

「めいちゃん、アリバダって知ってる?」

日本を出発する飛行機で、目を輝かせて空白の多い香盤表を渡しながら話したヤス。「年に一度だから、見られるか分からないけど、見られたらラッキーだよね!」と言っていたことをよく覚えています。

しかし、一筋縄にそんなスーパーラッキーに辿り着いた訳ではありません。そもそもグアナカステのサンタロサ国立公園に着くまでも長距離バスを乗り継いだし、他の撮影もしていました。サンタロサでは広い国立公園の中で泊まらせてもらうために、生物学者たちが使う宿舎(一般客を入れる宿ではない)に泊まらせてもらうと、共同トイレには「タランチュラ注意!」、共同シャワー室には「頭上!カエル注意」(湯気で上から落ちてくることがある)などの張り紙があり、都会っ子の私には仰天続きでした。普段人の出入りが多い場所ではないため、寝床も埃だらけで蜘蛛の巣が張っていました。流石に私は「これだったら寝袋を持って外で寝た方がマシ」と思ったのですが、ジャングルにはいろんな虫や動物がいるから「野宿は絶対にダメ」とご指導いただき、息を止めるような我慢で宿舎の部屋に寝ました。

“とりあえずやってみる、進んでみる”といったワイルドなアドベンチャー精神。いつ、どうやってその心を覚えたのか分かりませんが、もしかしたら私は都会生活で窮屈な思いを重ねていたからこそ、遠出をしたら、なりゆきに任せてみることを楽しんでいたのかもしれません。

奥地へ進むごとに、アリバダの情報が得られないかと人に聞いてみるのですが、現地の人でも情報は少なく、特殊な学者しか分からない。国立公園のエリアに入ってやっと「一人だけ、今年はスイスの学者がナンシーテへ向かったよ」という情報を得ました。「私たちもそこへ行きたいです」と話しましたが、「ここ数日の大雨で道がどろどろで無理だよ」と言われ、足止めされていました。

諦めかけて食堂で中米の豆ご飯を食べていたら、現地の案内人を務めてくれた男性が突然「トレイルの入り口までなら、今出発するジープがあるって! そこから歩いたら、ナンシーテまで9時間はかかるけど、どうする?」と聞いてきました。

ヤスは確認するように私の顔を見ましたが、もちろん私たちはチャンスを逃すことなく、真っ先にパークレンジャーの運転するジープに乗りました。

今にもジープが転がってしまうのではないかというほど跳ねる凹凸の泥道。何度もタイヤは音を上げて沼のような水溜りに引っかかりました。もうこれ以上車を走らせることはできないという地点で降ろしてもらい、そこから先はトレッキングで進んで行きました。トレッキング路は過酷な道のりでもありましたが、そこで見たのはコスタリカの大自然や生態の多様性。土壌の色や質が著しくシフトする、太古の時代、大陸がぶつかり合った形跡。今思えば、私たちはその全てを、 “アリバダが見られる”という保証無しに進んでいったのです。何の約束もなく、なんなら見られない可能性の方が高いという覚悟の中で歩き続けたのです。

普通に考えたら、それはおかしなチョイスだったかもしれません。見返りを期待できない努力を重ね、結果の分からないアドベンチャーに出向くこと。車も入れない野生の道のりを、ただただ歩き続けたこと。

もちろん、番組のフィロソフィーとか、せっかくサンタロサ国立公園へまで行ったのだから「できるところまで行ってみよう」といった前向きなチャレンジ精神もありました。何より、私たちは、理性で考える以上に体当たりする「ただ、やってみよう」といった度胸とスピリットのまま旅を続けたのです。それは、見事なまでに結果を求める結果論ではなく、プロセスを楽しむジャーニーを選べていたのだと、今でこそ思います。

ナンシーテに到着する2、3時間前でしょうか。トレイルは、ナンシーテの少し南にある大きな海岸にでました。長時間のトレッキングから休憩するように、水着になって海に入ると、大自然はそんな私たちのスピリットを歓迎するように大きな虹を空にかけてくれました。

しかし、亀が産卵するのはその海岸ではなく、もっと奥地にあるナンシーテだというのです。どうしてそこではなくナンシーテなのかは、誰も分からない。地球の磁場と関係しているのではないかとか、色々な説が挙げられますが、未だ解明できていないそうです。そうやってとにかく歩き進め、やっとの思いで到着したジャングルの中の小汚い小屋で出逢ったのが、そのスイス人学者だったのです。

少し目を閉じて休息を取った後、夜中の23時過ぎだったと思います。現地に慣れている学者の指示に従い、危ういほどボロボロの板張りの小道でワニのいる沼を渡り(!)海岸へ出たら、自然現象の環境を乱さないよう、すぐに手持ちの懐中電灯を消しました。

目が慣れるまで一瞬にして暗闇に包まれた感覚。その盲目の時間で敏感になった聴覚に入ってきたのは、遠くの花火のような「ポン、ポン、ポンポポポポン」という音。浜に歩み寄ると、何百、何千頭もの亀が密集していて、産卵を終えた亀たちが、卵を産んだ場所に砂をかけ、ひれのような手や脚でポンポン叩いているのです。

言葉では言い表すことができないほど偉大な感動に包まれたあの夜。オールナイトで亀たちの産卵に立ち会った夜空には、絶えず流れ星が見えていました。

吉川めい

こんな実話を話したら、みなさんはあのスイス人学者のように、私のことを「あなたはなんてラッキーなの!」と思うでしょう。

確かに、ラッキーには違いないのですが、「ラッキー」についてもう少し深掘りしてみるとどうでしょう。私はアメリカのテレビパーソナリティで数々の著書を持つオプラ・ウィンフリーさんの名言を思い出します。「運とは、十分な準備が機会と出逢うところ。チャンスが訪れた時に、準備が整っていなければ、運をものにすることはできないのです」と彼女は話します。

あれからおよそ二十年。長時間のトレッキングで未知の道のりを進むだけでなく、私は、人生においても何度も「もうダメ」「きっと無理」と思うような逆境に立ち向かってきました。そして、それらの体験を通して、ウィンフリー氏の言う「準備」について、私なりに分かるようになったことがあります。

それは、

  1. 途中で辞めないこと。
  2. とにかくできる限り一歩ずつ、一歩ずつ進むこと。
  3. 見通しが悪く、先が見えない時でも、結果が分からない中でも信じ続けること。
  4. 結果以上に、プロセス自体を味わい、感謝を忘れないこと。

この4つです。

私の人生の様々な逆境や波瀾万丈なライフ履歴については、これまでの記事にも何度も書いてきました。両親の離婚や、母の難病や介護。精神的なストレスから発症したひどい不眠症やうつ状態。そして、最近では大切な人を事故で亡くしたことのグリーフ(悲嘆の想い)。

アリバダに遭遇した話はさておき、私の人生のプロフィールを見てみたらむしろ「あなたは本当に不運ですね」と思う人の方が多いかもしれません。

では、本当のところは一体どうなのでしょうか? 私はラッキーなのでしょうか? それともアンラッキーなのでしょうか?

私自身の捉え方は簡単です。私は、そのようなアップダウンの激しい目線で自分の人生を測らなくなりました。そして私は、自分に「何が起こったか」よりも自分がその出来事を「どう観て、どう捉えて、何を学ぶか」を主軸に考えるようになりました。

辛いことの真っ只中にいる時こそ、暗闇の先に光があるかもしれないと信じ続けることの大切さを忘れがちですが、そんな時こそ、アリバダに出会えた私の道のりのステップを思い出してみてください。

とにかくできる限りのことでいいので、一歩ずつ、生きるだけ。暗くて先が見えない中、恐れることもあるけれど、それでもまた季節が変わることを信じ続けていて。そして、途中で辞めることさえしなければ、必ずあなたのその「準備」はいつか新たな「機会」に巡り合うのです。

結果以上に、その道のりのプロセス自体を味わえている自分が芽生え始めた時、感謝の気持ちは、もう一度、自発的に胸の内から湧き出てきます。その時、その感謝の気持ちは、人や出来事に向けたものだけでなく、心底自分自身に「諦めないで歩き続けてくれて、ありがとう。あなたがあなたで居てくれて、本当にありがとう」と、自分自身に向けた深い畏敬の念を響き渡らせることでしょう。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/