「みなさんは、自分が本当に求めている肉体的・精神的な嗜好を、あなたのパートナーに伝えることができていますか? しっかりとコミュニケーションを取れていますか? また、あなたのパートナーの嗜好をちゃんと聞いたことがありますか?」

これは、先日開催したVeda Tokyoオンライン特別ワークショップで投げかけた質問です。

男性や女性といった堅苦しい枠に限られる性の在り方ではなく、ヨガや陰陽論で言う月と太陽、集中と拡散、二極のエネルギーとして理解する「性」というワイルドで流動的な「動き」についてお話したワークショップでした。

自分自身の在り方、アイデンティティに欠かせない、あなただけのユニークな性のバランスは“Fifty shades of grey (50種類のグレーの階層)”があるほど微妙で、美しくて、ユニークで、社会や親や人の都合に合わせなくてもいいんだよ、というお話をお届けしました。ロッカールームやトイレの角を右に曲がるか左に曲がるかよりも、よっぽど広くて豊かな選択肢があるのがあなたの中の「性」なのではないでしょうか。

Veda Tokyoは「自分自身をよく知り、呼応すること」をテーマにしているオンラインスタジオですが、冒頭の質問が挙がった際には、画面越しにドキッとした様子で首を振る方も多かったです。しかしながら、このようなことをパートナーと話さなかったら、いったい誰と話すのでしょうか? 一生話さないで終わろうとしているのでしょうか? ということはあなたは性というビッグテーマについて、“当てずっぽ”で「上手くいったらラッキー」程度に考えているのでしょうか?

少なくとも、「性」があなた自身のアイデンティティにどう関わっているのかは、自分で自分のことを知るのに不可欠なテーマであり、避けて通れないことだと私は考えます。私たちは常日頃から、好きな石鹸、好きな食べ物、好きな服を選びます。それならなぜ「好きなスキンシップ」を好きな人に伝えることのコミュニケーションを取らないのでしょうか?

答えを出すことより、「新しい視点の問いかけを提案する」ことを得意としているわたしの指導スタイル。あとはみなさんなりの答えを、そのときの心の風向きにしたがって”50種類のグレーの階層“で出してみたらいいと思うのです。その方が、人生がよっぽど楽しくなると思いませんか? 今回のテーマは特に個人のアイデンティティの根本に関わるものであったので、プログラム後に参加者の方よりたくさんのお便りをいただきました。

お便りをくれた受講者の一人は、ゲイの友人の話を聞かせてくれました。そのゲイの友人さんは、東京でゲイがよく集まる新宿のあのエリアについて「二丁目に捨てるゴミ無し」と断言していたそうです。

その方によると、「ゴミ無し」という表現は、ゲイの男性特有の言い方で「相手がいない状態(=ゴミ)が出ない」という意味。

つまり、二丁目を集う方々は、自分の趣味嗜好をとてもハッキリ表明する方が多く、ハッキリ表明することが普通だそうです。つまり、セックスやリレーションシップについての自分の好みも明確で、かつ、妥協や我慢はあり得ない。だからこそ、自分に合う人も必ず見つかるということ。

これを聞いて、私は私なりになんだかとてもよく分かる気がしました。

というのも、私はゲイではないけれど、親や社会に疎外される気持ちは痛いほど分かるのです。私が疎外感を感じていたのは幼い頃からで、理由は母が日本とアメリカのハーフだったこと。見かけからして「お前んちの母ちゃん変人」と、幼稚園の頃はいじめられていました。

バス停のお迎えにお母さんが来てくれる時は嬉しかったのに、ちょっと嫌だった気持ちもあった記憶があります。今思えば人種差別ですよね。次のタイミングは、多様性が当たり前のインターナショナルスクールを経て、大学卒業後に日本の社会に進出した時。自分が「普通の日本人」ではないこと、思いっきり出ている杭扱いされることが、居場所がなくて苦しかったです。友達が全くできませんでした。

最近では、37歳で子供が二人いる状態で未亡人になった時に「疎外感」のようなものを感じました。日本のカルチャーでは、若くしての「未亡人」は"かわいそう"な対象になるので、本人から口にしない人が多いようです。若くして未亡人って、多くの人から見て「わからない」のだと思います。「どうやって話したらいいかわからない」「旦那さんのことには触れない方がいい」(わからない領域には触れない方がいい)、みたいな感じです。

しかしながら、実は私の中でもこれまでの疎外感のモヤモヤや辛さが一番スッキリしたのが、夫を亡くした後なんです。ほとんど「もうここまで来たらどうでもいいや」(笑)という諦めなのですが、人にどう思われるか、どう見られるかを一切気にしなくなったら、人生最大の自由がやってきました。それらを全部踏まえて、私が私であることが自分史上最高に楽しくなってきた今日この頃です。

でも多くの人にとって、絶対に疎外されると分かっていて自分の趣味嗜好をカミングアウトする勇気は大変なものだと思います。彼ら・彼女らが家族や社会においてどのような圧に耐えてきているかは、みなさんも想像したことがありますか?

けれど、疎外されることを恐れず、表明したその先には「自由」があるんです。

そこまでして選んで、守りぬいた「自分らしさ」には「自」の「由(よりどころ)」ができるのです。他の誰にでもなく、自分が自分自身に基づくのです。

「私は私なんだから」

を究極的に受け入れたとき、誰にどのように疎外されようと、自分が自分自身を愛し受け入れている美しき真の姿があります。

私は、この真の自分とまっすぐ在ることの美しき姿のために、もしも自分が社会に疎外されるのであれば、それは断然、疎外される価値があることを知っています。

そして二丁目を第二の故郷とする彼と同じように、誰に疎外されようと、ユニークな自分にぴったりな仲間たちと出会えることも知っています。

もう一つ、考えさせられることがありました。

疎外されてもこれほどまで最高な自分の自由を最強に楽しむゲイの彼や、思いっきり出ている杭の私。彼らや私がこんなに自分の自由とユニークさを祝福できているのに、社会から疎外されていない、疎外されないように注意深く生きている人の方がよっぽど窮屈そうなのは、なぜ?? 皮肉だと思いませんか?

最後に私からのアドバイス。

さっさと疎外されてしまえばいい。

少なくても、疎外されることや他者にジャッジされることを恐れるような生き方からはさっさと足を洗って、

Just be YOU.

And don’t care about the rest.

ただ、あなたはあなたで在ればいい。

他のことなんて、気にしなければいい。

性に限らず、自分で自分の自分らしさをカミングアウトできたとき、きっと、社会にもうひとり、他者の"グレーの階層"を理解できなくても祝福できる人が増えるのだと思う。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/