グランドスラムを獲得したスーパーアスリート、大坂なおみ。プロテニスプレーヤーという肩書きにとどまらず、ファッションデザイナーやモデル、スキンケアブランドのCEOなど、その活躍は多岐に渡る。最近は試合後の会見を辞退したことで大きな話題を呼んだ彼女。いつどんなときも噓偽りのない姿を見せることを選んだ理由とは? アメリカ版ウィメンズヘルスより詳しく見ていこう。

ピンク色の細い雲が空を美しく彩った3年前の9月、ニューヨークシティーで全米オープン女子の決勝戦が始まった。でも、空気は重く、湿っている。いまにも雨が降りそうだ。アーサー・アッシュ・スタジアムにも嵐の予感。コートの片側には当時世界ランキング19位の大坂なおみ。知名度は低かったものの、2週間のトーナメント中、強烈なサーブとグラウンドストロークで観客を何度も沸かせた。対するは、通算23度のグランドスラムを誇り、世界中のファンに愛されるセリーナ・ウィリアムズ。なおみ自身も小さい頃から、このレジェンドに憧れてきた。

試合は1時間19分続いた。2セット目の審判員の判定で取り乱したセリーナは、落ち着いたかと思いきや、猛烈なスピードで崩れていった。なおみがたやすく試合に勝っても、会場から歓声は上がらない。表彰式ではサンバイザーを深くかぶって涙を流し、セリーナ派の群衆に対して「ごめんなさい......みんな彼女の応援をしていたのは分かっています。このような結果になって申し訳ありません」と頭を下げた。

初めてのグランドスラムにしては悲しすぎる。「おめでとう」と言われるべき場面でなおみは、自分ではなく、対戦相手のことを考えていた。

なおみが悲しいスピーチをした直後に開かれた記者会見のYouTube動画を見ると、彼女が放心状態であることは、ボディーランゲージと声で明らか。起きたばかりの出来事を1人で処理する時間が必要だったに違いない。にも関わらず、なおみはライオンの巣穴に送られた。シャッターを切り続けるカメラに囲まれ、フラッシュを浴びながら、当時20歳のなおみは質問を受けるたび、その質問をしたレポーターを特定しようと落ち着きなく室内を見回していた。

なおみが1つひとつの質問に静かに、簡潔に答えていると、10分もたたないうちに「勝ったのになぜ謝ったのか」という質問が浴びせられた。彼女は、そのレポーターをさえぎるように片手を上げて、喉を少し詰まらせながら「そういう質問には感情的になりますね」と本音を吐いた。

大坂なおみ
Djeneba Aduayom

2021年の状況は、世界中のテニスファンにとって大きく違う。なおみは最近、記者会見を辞退するという勇敢な決断で議論を呼んだ。このシンプルかつパワフルな選択は、アスリートとメンタルヘルスの関係を大きく変えた。マスコミとの接触を避けるため、全仏オープンを辞退した直後に話を聞くと「私たちは普段から、よく考えずに発言してばかりです」と声を濁した。「沈黙は気まずいとさえ思われています」

こうしてなおみが自分の道を進み始めると形勢が逆転し、今度はスポーツ業界の仕切り屋たちが黙っていられなくなった。マスコミはなおみを“ディーバ”と呼び、トーナメントプレイヤーとしての契約上の責任を放棄していると批判した。全仏オープンの主催者たちは、なおみに15,000ドル(約165万円)の罰金を科し、4大大会の運営組織は「今後も記者会見を避けるようなら、より厳しい措置を取る」と言って、なおみを脅した。

すると、なおみをサポートする声が猛烈な勢いで寄せられた。テニス界からはセリーナ・ウィリアムズやマルチナ・ナブラチロワ、NFLからはクォーターバックのラッセル・ウィルソン、バスケ界からはステフェン・カリーなどの大物スターが、ツイッターやインスタグラムで、なおみの勇気ある行動を称賛。ナイキを含むなおみの主要スポンサーも、自分のウェルビーイングを守るための決断に拍手を送った。

なおみは、280万人のフォロワーを持つインスタグラムで記者会見辞退の意向を伝え、その後、複数のスクリーンショットを通じて辞退の理由を明らかにした。彼女が全仏オープンの記者会見で質問に答えることはなかったけれど、インスタグラムにつづられた彼女の言葉は、間違いなく彼女の考えと気持ちを表現していた。2018年の全米オープン以降、うつ病に悩まされていたことも......。

シャイで無口と言われるなおみ。マスコミからは「よそよそしい」という批判めいた声もある。でも、彼女にとって、この内向的な性格は欠点ではなくスーパーパワー。「“無口な子”と言われて育つと、その箱から出られなくなり、溶け込みたいだけなのに周囲から浮いてしまうようになります」となおみ。「でも、いまはそんな自分を認めて、受け入れるようにしています」

一流アスリートなら当然と思われることも押しのけてきた。「マスコミ対策をしたいと思ったことはありません。自分らしくないひな型通りの回答で、自分の個性を変えたくありませんでした。私の個性が変わっていると思う人はいるでしょう。混血ですし。でも、それが私をユニークな人間にするのです」。なおみは、日本人の母親とハイチ人の父親を持つ日本生まれの日本人で、3歳からアメリカに住んでいる。

大坂なおみ

インタビューで、なおみは自分が話したいことだけを答えた。不安やうつとの戦いについて話してほしいと頼まれたときも、「人の役に立ちたいと思いますし、アスリートも人間であることを知ってもらえたらと思います。私たちはみな、何かを抱えて生きています」と広い文脈に置き替えた。

なおみを苦しめたのは、プロスポーツ選手ならではの利害問題と重圧だった。アスリートは家族の期待と夢を背負っているだけじゃない。多くの場合、家族の安定した生活も、彼らの成績にかかっている。「複数の仕事を掛け持ち、練習や試合の送り迎えをして、自分の夢や楽しみを犠牲にしてまで子供に尽くす親の姿を見ると、身の引き締まる思がします」と語るなおみは、妹のまりと一緒に、ラケットを振れる年になってからずっと、ベストになるための特訓を積んできた。

頂点を目指すようなアスリートは、スタジアムを埋めるファン(対戦相手の側につき、ブーイングをしたり金切り声で叫んだりする人もいる)の視線だけでなく、スポーツ記者、ネット上のコメンター、SNSの荒らしにも四六時中さらされる。うつ病や不安神経症などの症状を見せる大学生アスリートの割合は、なんと約33%。プロの世界では、35%ものアスリートがストレス、摂食障害、バーンアウト、薬物乱用、うつ病、不安神経症などのメンタルヘルス問題を抱えている。

「大きなプレッシャーの中で生きる覚悟があるから、プロになるんでしょう?」と言う人もいるかもしれない。でも、もう少し健全にならないものか? まだ若く、自分の感情やメンタル面が完全に掌握できないアスリートのプライバシーとウェルビーイングを守る道はないものか? 光の速さで情報が飛び交う時代に、リアルタイムで試合を見るジャーナリストが試合直後の選手たちを長時間引き留めて、ファンにひと言もらう必要が本当にあるのだろうか?

大坂なおみ

なおみには、どんな乱気流の中でも自分を支える方法がある。『Beats』のヘッドフォンで音楽を聴きながらコートに入るのも、社会不安を和らげるためのルーティン。「音楽を聴くと落ち着きますし、試合の邪魔になる騒音もかき消されます」と話すなおみが試合前に聴いているのは、ビヨンセ、リアーナ、スウィーティー。「私にとって音楽は、刺激と元気の源です」

ヘッドフォンメーカーの『Beats』は、なおみのスポンサーの1つ。いまや世界一年棒の高いアスリートの1人で、2020年5月から2021年5月の収入は5,500万ドル(約60億円)と言われる彼女は、自分と手を組み、自分に投資してくれるブランドを堂々と宣伝する。

ストレッチやマッサージによるリカバリーは、なおみのトレーニングの重要な一部。リカバリーテック/ツールメーカー『Hyperice』のNormatecという着圧ブーツも、パフォーマンスの強い味方なのだとか。サイドビジネスとしてではなく、テニスと同じだけ重要なキャリア構築と自己成長の機会として、こういうブランドや企業とオープンに関わる女性は、新鮮だし尊敬に値する。

大坂なおみ

なおみのクリエイティブな性質は、起業家としてのキャリアを後押ししている。「まりと私は若い頃、遠征先でファッション雑誌を読みながら、いつか服のデザインをしてみたいと話していました」。ルイ・ヴィトンやリーバイス、ナイキのようなブランドと協業し、自分の服をデザインすることになるなんて、12歳の頃は夢にも思っていなかった。「本当に現実とは思えません」

最近では、履歴書にスキンケアブランド『Kinlò』のCEOという新しい役職も加わった。「3歳から太陽の下でテニスをしていましたが、日焼け止めが必要なんて予想だにしませんでした」。有色人種向けのサンケア商品の開発は、なおみにとって新鮮だった。「肌が茶色い人や黒い人の皮膚がんの統計には、心底驚きました」。診断を受ける機会も生存者の数も圧倒的に少ないのに、有色人種の皮膚がんに焦点を当てた研究結果は驚くほど少ない。

「黒い肌を白くせず、刺激の強い化学物質不使用の商品を作るだけでは不十分でした」と話すなおみは、商品開発を前にして、医師による諮問委員会の設立にこだわった。「肌の色が日に焼けないほど黒ければ、紫外線対策はしなくていいといううわさを打ち消したいとも思いました」

なおみのビジネスと慈善事業は、メンタルヘルスの改善にも役立っている。1年前には、ナイキと手を組み、女の子の運動やチームワークを促進する『Play Academy』を日本に設立。「ちょっとした思いやりと、たった1つのプログラムで人生が変わるかもしれないなんて、とてもパワフルな話です。人助けに全力を尽くしていると、何よりも大きな充足感が得られます」。その後『Play Academy』は、アメリカとハイチにも進出した。

社会貢献をすることで、感情的・精神的なバランスも取りやすくなっている。アプリを使った毎朝の瞑想も欠かさない。「ロサンゼルスの自宅には、瞑想ルームがあるんです。瞑想にふさわしい環境が整っていて、とても静かなんですよ」

パンデミック中は移動がなくなり、意外にも料理に目覚めた。お母さんのラムシチュー、ハイチ料理、ステーキを乗せたリゾットなど、いろんなレシピを試しているそう。「クリーミーで温かいライスにステーキを乗せて食べると、なぜか妙にホッとします」。でも、トレーニングの一環としてクリーンな食事は続けており、テニスコートとジムで午前中のトレーニングをこなしたあとは、ほぼ毎日2時頃に米国のヘルシーフードチェーン店『Sweetgreen』のランチを食べる。

なおみは6月17日、東京オリンピックに向けた準備に注力するため、ウィンブルドン選手権欠場の意向を発表。オリンピックでは記者会見が求められない。残念ながら3回戦で敗れたけれど、開会式では聖火台に火もともした。なおみは今後も、アスリートのメンタルヘルス対策に関して、女子テニス協会と話し合いを続ける予定。そして、ウエスタン・アンド・サザン・オープン(米シンシナティ)の記者会見で挑発的な質問を受け、涙した彼女の姿は、アスリートにかかる精神的な負荷がいまも大きく、継続的な議論が必要であることを示すリマインダー。

大坂なおみ
Women’s Health US 9月号のカバーを飾る大坂なおみ

人生が紆余曲折に満ちていようと、なおみはテニスがすべてじゃないことを知っている。「何か1つにしかなれないわけではないことがハッキリと分かってきました。テニスだけが私の人生ではありません」。『Kinlò』やファッションブラントとのコラボレーション、頼もしいスポンサーの存在と女子スポーツの推進にかける思い......何があっても、なおみは自分の道を見つける。本当の内面の強さとは、どんなものかを見せつけながら、他でもない彼女自身のやり方で。早くも次世代のアスリートの人生を大きく変えた、大坂なおみの次の試合を見に行ける日が待ち遠しい。

※この記事は、アメリカ版ウィメンズヘルスから翻訳されました。

Interview:Liz Plosser Photo:Djeneba Aduayom Styling:Karla Welch Hair:Marty Harper at The Wall Group Makeup:Autumn Moultrie at The Wall Group Production:Crawford Productions Translation:Ai Igamoto