その頃、シドニーオリンピックの選手村にセラピストとして参加する機会を得た。選手村では世界87カ国からやってきたセラピストたちとともに2週間で5000人の施術を行い、神崎さん自身は400人にアロマを使ったオイルマッサージを行なった。
「当時、日本ではオイルマッサージはまだ知られていませんでしたが、世界では当たり前。ほとんどの選手がオイルマッサージを受けており、必ずこの職業が世の中に必要とされる日が来ると感じました」
そしてこのシドニーオリンピックでの活動が、「選手じゃないのに選手村で活躍する日本人がいる」ということで注目を集めることに。帰国後には取材が殺到し、職業として「スポーツアロマトレーナー」という肩書きを作り、日本スポーツアロマトレーナー協会を設立。
そして、神崎さんの次なる目標として芽生えた思いが、「他のトレーナーにも世界のトップ選手を施術する経験をさせてあげたい。次のオリンピックではIOCに招待される形でオリンピックに参加したい」というもの。
さらに、日本の選手のためにも、スポーツアロマトレーナーを育成していこうと決めたその頃に、尊敬する先生から「医療資格、国家資格を取っておきなさい」というアドバイスを受けた。帰国の2ヶ月後には鍼灸師の専門学校を受験し、そこから3年間鍼灸師の資格を取るべく学びの日々がスタート。
小学生の息子を育てながら、専門学校に通い、サロンでの仕事もする。仕事と学業の両立のため学校の近くにサロンを移転させた。「当時は必死すぎて記憶もないくらいです」と振り返る。
それと並行して行ったのが、オリンピックのインターナショナルマッサージチームへのエントリー。「これは、IOCのホームページのボランティアサイトから応募するんです。応募してからもずっと自分たちの実績をアピールする資料を英文で作ってIOCに送り続けました」
そんな努力が実って、アテネオリンピックが開催される年の春、IOCからインターナショナルマッサージチームとしての招待状が届く。夢見た通り、IOCからの招待で自分だけでなくスポーツアロマトレーナーチームとしてオリンピック選手村で施術をすることができた体験は、トレーナーひとりひとりにとっても得難い体験となった。その一方で、夢を実現してしまい、次なる目標を見失ってしまった神崎さんは、数ヶ月の間、燃え尽き症候群のようになってしまったそう。
そんな時、彼女を癒してくれたのはアロママッサージ。スタッフたちがマッサージをしてくれ、徐々に元気になる中で、ロンドンパラリンピックに出場する選手やそのチームスタッフをサポートしたいと思うようになる。
神崎さんがサポートすることになったのは、アテネパラリンピックで金メダルも取っているマラソンの高橋勇市選手。視覚障害ランナーには伴走が必要だが、自分のペースで走れないサポートランナーたちも怪我が続出してボロボロの状態だった。
ロンドンパラリンピックで競技を引退しようと決めていた高橋勇市選手だが、スポーツアロマによるケアにも興味をもち、熱心にセルフケアをするようになった結果、ロンドンパラリンピックでも自己ベストの記録を出して7位入賞。レース後に「スポーツアロマと出会っていなかったら、棄権していたと思う」と言われて、神崎さんはケアを続けることの大切さを感じたそう。
2020年に迫った東京オリンピックについて尋ねると、
「東京オリンピック・パラリンピックは参加しないと宣言してきたんですけど、これで最後にしようかなと思っています。また、IOCのボランティアエントリーページから申し込んでみるつもりです」