「久しぶりのセックスはどうだった?」5年ぶりに彼氏ができた友人のハッピーな報告を受け、私は聞かずにはいられませんでした。聞き入るように前のめりになった、少人数の女性だけの仲良しテーブル。それが……。

「修行みたいだった!」と、笑いながらの彼女の返答に、「ええっ!?」と、一挙にテーブルは驚きと笑いでどよめきました。

その後すぐ、自然と会話は他のもっと無難な方向へ進められていきました。みんな笑ってはいるんだけど、私はそこに「笑えるけど、笑えない」本音が隠れているように感じずにはいられませんでした。少なくとも私は、心底笑うことはできませんでした。

それは、私たち女性が、一人残らずほぼ、全員いつかはどこかで誰かとセックス中に我慢をしたことがあることを知っているから。性行為を「修行のようだった」と話したことのあるお友達は彼女が初めてではなかったし、きっと最後でもないのでしょう。

好きになった人と親密な関係になり、身体の全てを許したのに、それが滝行みたいな我慢タイムだったなんて、本当は悲しい。悲し過ぎる。そう思うのは、私だけではないはず。

統計的には、性生活に対する日本人の全国的な満足度はざっくりと50%前後だと言います。それを高いと思うか、低いと思うかすら人それぞれでしょう。ましてや、親に学ぶことはまずない、学校で教わることもない、閉ざされた扉の奥で二人の大人が取り組むことのHOWについて、私が言えることは何もありません。

しかし先日、別の友人から「僕はひとり親だし、男性だから、 よかったらめいが話してみてくれないか?」と、17歳になった愛娘のことを心配して相談されたのです。それをきっかけに、もしも自分の娘だったら、私は女性の身体や性について何を伝えたいのだろう? また、その子を昔の自分と照らし合わせ、もしも今の私が17歳の自分に話す機会があったら、なんて言いたいのだろう? と考え始めました。

今の私は、セクシュアリティを神聖なものとして知っています。それは女性でも男性でも、ノンバイナリーでも関係ありません。ありとあらゆる流動的なグレーゾーンの中で移り変りながら生涯付き合っていく性や生殖器。それは、子供の頃から冗談のネタにされたり、馬鹿にされたり。言葉にするのも下品だと教わったりするので、突然「神聖なもの」と言われてもピンとこない方が多いかもしれません。社会ではそうして性を粗末にしたり、どう扱ったらいいか分からなくて、とりあえず隠すようになることが多くあるでしょう。他にも、これは個人の意見にしか過ぎませんが、日本のバラエティ番組は特に女性の美やボディに対して低俗なテイストが一般化していて、そのようなメッセージがマスメディアを通して子ども達に伝わっていることを残念に感じることもあります。

女性のセクシュアリティを総体的なウェルネスにおいて欠かせない、重要なものとして理解できていないと、性は誤用されたり、その本来の意味に触られないまま、楽しめないまま、生涯を終えてしまう人を作ります。

現代社会やメディアは、女性の身体の性的な表現を武器であるように見せたり、使ったりすることがよくあります。そうやって、男性を惹きつけるために使う女性性の美は、相手をコントロールすることのできる権力となるからです。それが間違っていると言いたい訳ではありませんが、女性性の本当の意味と美しさが“それだけのもの”という理解に偏ってしまわないように、注意が必要だと私は考えます。

中には「性は男性の欲を満たすためのもの(だから我慢は当たり前)」と教わった方も少なくないかもしれません。これも間違っていると言いたい訳ではないのですが、やはり、前世代の基準を鵜呑みにする前に、もう一度丁寧に事を見直してもいいのではないかと思うのです。もしあなたが自分の性をそのように扱うなら、そこには我慢が生じて当たり前。また、いつかその男性が自分以外の女性の肉体美に惹かれ、それを求めてしまっても仕方ないとか、そうならざるを得ないといった理屈で考えるでしょう。それは、自分の性のみならず「所詮男性はそういう動物なのだ」と、相手の性を見くびることです。そういった観念からくる色眼鏡は、あなた自身から男性性の真の魅力を知ることやそれを引き出すことの機会を奪っているのではないでしょうか。

「男性はそういう生き物」と断言する人は多くいますし、実際そのような行動しか取らない男性も多くいます。しかし、動物的なセックスしか知らない男性もいれば、逆にそのような軽々しいプレイに飽きたり、魅力を感じなくなったり。それ以上の親密性(インティマシー)を求めている男性も多くいます。アプローチは違えど、セクシュアリティを深く味わい、身体を越えた一体感を感じたいという点においては、女性も男性も同じではないかと思うのです。

男性のセクシュアリティを動物的にしか捉えることができないと、それはセックス自体を動物的な行為としてしか理解せず、非常にチープにしてしまうことにつながります。愛し合っていない二人が肉欲を満たす目的で表面的なセックスに取り組むことはあります。二人の大人の合意がある限り、これは間違ったことではないし、悪いことでもありません。しかし、性行為の本来の意味と可能性は、肉欲的なお遊びを越えたパートナーシップや命を繋ぐための創造性。そして、人として愛し支え合うことの最高峰の体現法の一つとしてあるのではないでしょうか。

私は本来、成熟した大人同士のセックスとは、肉欲的な快楽や動物的な交尾、そして権力のツール止まりではないと思っています。身体を全て使いながら、身体を越えた想いを与え合うセックスはあるし、そうやって愛し合う二人の魂が確認し合う愛は、肉体的な喜びを何十倍にもします。肉体と魂が一体となり、内側の精神も外側の身体も合わせて愛し合い、一つになることは、神聖な行いだと感じられるものです。

だから、女性としての自分の価値を、表面的な姿で測らないでほしい。大きさも小ささも、出っ張りも凹みも、形も見かけも。容姿を気にし始めたらキリがないけれど、私の身体は、私の身体。ケーキを食べる時、見かけも大事だけど、見かけ以上に味が大事で、二つとないその味わいに勝るものがないように。見かけも綺麗にしていたいけれど、ボディの本当の役割は、内なる人間性を生かし、抱えてくれている神聖な器であることだと思うのです。

あなた自身がそうして自分の身体をリスペクトすることができたら、同じようにあなたの中身を愛する相手は、それを抱えるボディという器も愛してくれる。肉欲的な繋がりでは、表面に意識が向いてばかりで裸になることに羞恥心があるけれど、愛と意識で関わり合う相手となら、裸の仲になっても、不思議と信頼と安心感しか感じられないものです。

これらのことがあなたにとって遠いことのように聞こえるのなら、もしかしたら、あなたはまだ自分自身のセクシュアリティに触れたことがないのかもしれません。隠された悩みやトラウマが多いテーマでもあるから、行いにおいても、話すだけでも、セックスや自分のセクシュアリティについてオープンになれない人はたくさんいます。一度に全てが変わることではないでしょうが、自分のセクシュアリティに気づき直すのに遅すぎるということはありません。繰り返しますが、まずは次の要点を覚えていてください。

  1. 我慢なんかじゃない、最高のセックスが存在することを知っていてください。どこかで誰かができるのなら、あなたにだって必ず可能です。
  2. セックスは男性だけのためのものではありません。もし、私たちのカルチャーが、性的なものは男性の権利であったり、男性の欲求のためのものだと伝えるのなら、それは見直すタイミングではないでしょうか。
  3. セックスはパワープレイではない。セックスの力やセクシュアリティを武器のように使ってばかりだと、関係性においてパワープレイを繰り広げてしまい、親密性や繋がりを深めることを難しくしてしまうことがあります。
  4. みんな良いセックスに値する存在。あなたがいいセックスを必要としたり、求めたりすることは、汚いことでも低俗なことでもありません。恥じることもなく、一人の女性の健康的なあり方としてあなたにとって心地よいセクシュアリティの表現を選ぶことを恐れないでください。いいものを食べる食生活、質の高い運動や睡眠を大事にすることと同様に、相性のいい愛し合い方やスキンシップを共有できるパートナーシップは、あなたの生活を潤わせてくれる大切なエレメントです。

17歳の私は、こんなこと考えたこともなかったし、全く視野に入ってもいませんでした。誰も教えてくれなかった、大切なこと。25歳でも、モヤモヤしたまま模索していたと思うし、そんな中で結婚も出産もしました。色んな失敗と経験を重ねて、自分の中でしっくりくるまで気づき、体得できてきたのは35歳を過ぎてやっとだったかもしれません。

今日の私が、もしも17歳の自分に、または年齢を問わず、改めて自分のセクシュアリティと繋がろうとしている誰かに話すのなら、きっとこんなことを言うのではないかと思います。自分を知るって、本当に素晴らしいこと。自分のセクシュアリティの素晴らしさを知りたいなら、まずは身体と意識を一体に、素直であること。相手に伝えたいこと、伝える必要があることを伝え、自分のセクシュアリティ、そして相手のセクシュアリティともリスペクトのある関係を築くこと。セックスこそ、我慢とは程遠く、あなたの最も赤裸々な自身を自由にしてくれるものでありますように。

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/