美しく晴れた夏の朝、二人の息子達とおじいちゃん(私の父)を車に乗せ、とある公園へ向かいました。一度だけ訪れたことのあった、都心から少し離れたこの公園には、とても素敵な茂った森と子どもが遊べる小川、そして池がありました。

「糸の先にスルメを付けたら、初めてでも簡単に釣れるよ!」と、池の近くでバケツいっぱいのザリガニを持った子ども達が教えてくれて、「今度来る時は私達もやってみよう!」と決めていたのです。

ザリガニ釣りは、私にとっても人生で初めて。

これまで、ザリガニに興味を持ったことなんて一度もない。だけど、茂った森の雰囲気には何か惹かれるものがあって、この公園へはまた行きたいと思っていたのです。だからこの日は、バケツとスルメ、そして太めの糸を用意して、帽子をかぶって虫除けをたっぷり塗り、ワクワクする子ども達とおじいちゃんと一緒に向かいました。

ツンツン、ツン。 

池のほとりの木陰でそっとスルメを結んだ糸を水の中に下ろしたら、早速引っ張られたのは私の糸でした。

まだ目視できないミステリアスな何かに、確かに糸が引かれる様子を素手で感じ、ソワソワッーとした興奮が神経の先まで走りました。ゆっくり糸を引いてみると……なんと!

私が一番にザリガニ釣りに成功しちゃったのです。

自分でもびっくりして大興奮!

子ども達も目をまんまるくしてびっくり。一挙に全員のテンションが上がりました。

記念すべき一匹めをバケツに入れました。ザリガニ釣りってこんなに簡単なの? それとも、もしかして私に才能があるの? なんて大人気ない思考も束の間。続いて4歳の次男も、おじいちゃんも。そしてちょっと間を置いて12歳のお兄ちゃんも次から次へと釣れました。

野生の生き物を相手に目を光らせている子ども達を眺める楽しみはもちろんのこと、思いの外私まで一緒になってスリルにハマり、気がついたらバケツはザリガニでいっぱいになっていました。

「あー楽しかったね、帰ろうか。ザリガニさんにバイバイ言って池に返してやってね。また来ようね」と、すんなりソフトにお別れを済ませようとしたその時。母としてのもう一つの野生の勘はうっすら感じ始めていたのだけど……。

「ママァ。ザリガニお家に持って帰りたい! お家に連れて帰ってもいい?」

長男はやはり、私が恐れていたその言葉を言ってしまいました。「嫌な予感」を感じていたということは、本当はザリガニをお家に持って帰るという発想に「NO」と言いたい自分がいたということ。なんとなくですが、そのことにも気がついていました。

でも、彼の顔が。彼の目が。少年のピュアな想いが愛おしすぎて、私はその瞬間に魔法にかけられたようにNOと言いたくなくなってしまったのです。かと言ってYESとも言えなかったのですが、私は「Maybe… just one or two? (まぁ1、2匹だけだったら……)」と言い始めてしまったのです。

「ヤッター!」跳ねるように喜んでおじいちゃんと弟に報告しに行く長男の背中は、ピンと背筋が張っていて、眩しい。それを見ているだけで、やっぱり私は母としてたくさんの幸せが感じられるのです。

大きめのザリガニを二匹だけバケツに残し、他は池へリリース。ザリガニをペットにするなんて、この日までの人生で一度も検討したことがなく、私は思いっきりオープンマインドで未知の世界へ足を踏み入れようとしました。帰り道に100円ショップに立ち寄り、500円で売っていた飼育箱は「ママは半分だけ出してあげるから、あとは自分のお小遣いを使いなさい」という約束のもと、長男に買わせました。「自分できちんと面倒を見るのよ」と付け足しながら。

家に帰りザリガニを飼育箱に移すと、生き物が大好きな次男は大喜び。盛り上がりのあまりに飼育箱をダイニングテーブルの上に置き、舐めるように眺めながら観察しました。

このあたりからかもしれません。私は、心の気流の変化を感じ始めました。

「あのね。ダイニングテーブルはご飯を食べるところだから、そこに置くことはやめようね」

もう、私の心に、ザリガニに対するスリルや喜びは、ない。

「裏のベランダの外に置いたらいいんじゃない?」少しでもザリガニの存在を遠くに設置しようとする私の思いとは裏腹に、次男は飼育箱をテレビの前やリビングのローテーブル。キッチンのカウンターなど、次から次へと目に入る場所に置きました。

そうして、午前のワイルドな遊びから落ち着き、子ども達が漫画を読んだりテレビを見たりして、部屋の空気が鎮まり返った頃。

カサカサッ。

カサササッ、カサカサ。

甲殻類のハードなはさみが、飼育箱のプラスチックに擦れて当たる音が激しく私の耳を障ってきました。そこで私は、思い出したのです。

私は、ザリガニなんて好きじゃない。

私は、ザリガニ、嫌い。本当は、本当に嫌いだったのです。

ザリガニ。

池の中にいるあなた達はいいけれど、あなた達の音とバイブスは、どうしても私に合わない。お願いだから私の住まいにいないでほしい。お願いだから出ていってほしい。

静かに、真摯に、素直に。私の心は雄たけびをあげました。

「ママはやっぱりザリガニだめだった。すみません。気が変わりました。ザリガニはこの家では許可できません」そんなニュースを、どう子ども達に切り出し、伝えたらいいのか、私はわかりませんでした。

じんわり、ゆっくり、わからないまま時だけが過ぎていく、まったりとした土曜の午後のこと。とどめを打つように、さらに重要なことを思い出してしまったのです。

ザリガニ飼育担当者の長男は、月曜日からサマーキャンプで一週間いなくなるのだった!

ショック!!

最初にOKを出してしまった自分の致命的なミスがじわじわと心を攻めてきました。

おじいちゃんももうお家に帰るし、うちにはお父さんはいない。

長男がキャンプへ行ったら、残るは4歳児と私しかいない。

張り裂けるように辛い消去法で私の運命が決まりました。

イライラ急上昇の中、「いきなり飼育係のあなたがいなくなるなら、せめてあらかじめザリガニのお世話の方法を調べて、詳しくママに指示出しをしなさい」とは、私が息子に言える唯一のことでした。

グーグル調査の結果、餌は毎日3回。水の交換も二日に一度は必要、なんていうハードルの高い注文を、長男はすらすらと私に話しました。

「あー、あとね。二匹以上同じ箱に入れていると、ザリガニは共食いをするから本当は分けた方がいいらしい。だけど飼育箱一つしか買っていないからね。餌をちゃんとやっていてお腹がいっぱいならたぶん大丈夫とは書いてある」と平気な顔をして言うのです。

私のザリガニ嫌いは、一挙に気持ち悪くなるほどの大嫌悪感になりました。こんなことになるまで、自分の心の声をきちんと聴いてあげられなかったなんて。

だから今、世界中の母達に、女性達に、人々に。声を大にして言いたいのです。

私は、ただ息子達の喜びを自分のことのように喜んでいたつもりだったけれど、それには実は大きなプライスが付いていたのです。彼らの喜びを優先した瞬間、私は盲目的に自分の心を裏切ってしまっていたのです。耳を塞ぐように、自分の心をないがしろに扱ってしまったのです。しかもそのすべてを子ども達に向けた「愛の名のもとで」! 

溢れんばかりの愛で子育てをすることは、もちろん私の喜びであり、誇りでもあります。だけど、そのために自分の心の声を裏切り、耳を塞いでしまうなら、そこには本当に愛や喜びや誇りがあると言えるのでしょうか? 愛しているからこそ、相手に譲りたい気持ちが湧くことも分かるし、時には譲ることが適切であることもあるでしょう。だけど、全体を見渡した時に、いかなる人間関係においても、自分を犠牲にすることを継続的に続けようとするアンバランスは、長く健全に続けられる愛し方ではないと、少々考え直した出来事でした。

どんなに愛している子どもやパートナーや仲間のためであっても「自分を無視してはならない」とは、愛と隣り合わせにリスペクトを持つことだと思います。そのリスペクトとはまず、自分を尊重するセルフリスペクトから始まり、その延長線で他者を含むこと。逆に言うと、自分を擦り減らし、ちょっとずつ犠牲にしてでも相手を優先してばかりだと、「自分はリスペクトに値する存在ではない」といったスタンスを、手本となって静かに継承してしまいます。意図していなかったとしても「愛に犠牲は付き物だ」といった考えを、次の世代に伝えてしまうのです。

愛し方や愛され方って、何が正しいのか、何が正解だとか、きめ細かく線引きできるようなことだとも思っていません。ある日は譲ってみること、また別の機会では相手に譲ってもらうこと。そんな潮の満ち引きもあるでしょう。ただ、そこにまず自分自身を知り、その上で互いに相手を知ることのできるコミュニケーションを心がけること。そこに「母だから」とか「女性だから」自動的に「あなたの幸せ=私の幸せなの」といった観念が潜んでいないかは、確認してみる価値があるのではないかと思います。

人は、個々の魂なのです。時には、人と違う想いがあって当たり前。たとえそれが愛する人であっても、です。そんな時でも自分を尊重し、まずは自分が自分のことをリスペクトして扱うこと。そうすることで、相手にも、あなたのことを同じようにリスペクトする機会を与えることになるのではないでしょうか。

一晩経った、日曜の夜。私はついに息子達に白状しました。「ママ、ザリガニケア、やっぱり無理だと思う。もっと早く気づかないでごめんね。小川へ行って返すのでもいいかな?」

意外とケロッと「OK!また捕まえに行けばいいしね」と受け止めてくれた子ども達。そうして、きれいに洗って逆さまにしてベランダで乾かした500円の飼育箱は、清らかな空の姿のまま。子どもにとっての動物飼育と私にとってのセルフリスペクトというプライスレスなレッスンを静かに物語るのでした。 

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吉川めい
ヨガマスター

MAE Y主宰、ウェルネスメンター。日本で生まれ育ちながら、幼少期より英語圏の文化にも精通する。母の看取りや夫との死別、2人の息子の育児などを経験する中で、13年間インドに通い続けて得た伝統的な学びを日々の生活で活かせるメソッドに落とし込み、自分の中で成熟させた。ヨガ歴22年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格者であり『Yoga People Award 2016』ベスト・オブ・ヨギーニ受賞。adidasグローバル・ヨガアンバサダー。2024年4月より、本心から自分を生きることを実現する人のための会員制コミュニティ「 MAE Y」をスタート。https://mae-y.com/