——パラリンピック出場の前後で意識は変わりましたか?
「パラリンピックは3回出場しても、やはり特別なものです。最初に出たのが義足になって2年目。その頃は時々喪失感に襲われたり、将来が不安になったりすることもありましたが、パラリンピックで世界中から集まるパラリンピアンたちの輝き、自信に満ちた生き様を目の当たりにして、なんでこんなに自分と違うの? と驚きました。みんな、ハンディキャップを完全に受け止めて、自分の残された機能を最大限に出し切ろうと戦っているんです。自分の力を信じて戦っているから、みなさん生き生きした表情なんですね。帰ってきてからの自分自身への向き合い方が変わりました。可能性にチャレンジしながら生きていくっていいなって思いました」
——パラスポーツの普及について思うことは?
「自分が義足になっていろんなスポーツをしてみると、変わらないんだな、工夫次第で一緒にスポーツできるんだな、とわかったんです。スポーツに垣根はありません。だから私自身、“障がい者スポーツ”という言葉は使わないようにしています。
パラリンピックなどに出場する選手の育成についても、欧米に比べて日本は遅れているなと感じています。理想的なのは、オリンピック選手と一緒に強化されていくことです。日本は2020年のオリンピック、パラリンピック開催が決まってやっと、管轄する省庁や仕組みが一本化されたり、予算が増えたり、スポンサーが増えたりといい変化が起きてきています。招致活動に関わった時にも、2020年の開催がそういう環境を変えて、パラスポーツとスポーツとがひとつになっていくチャンスになると信じて活動していたので、少しずつ目標に近づいていっていると思います」
「2020年の大会を経て、パラリンピックが様々な人にとって身近になり、障がいというものに対する意識が変わっていくといいなと思います。いろんな人が混ざり合うのが自然だし、スポーツが意識を変える力になるんじゃないかなと思いますね。分けて考える必要はないと思います」
「子どもたちと触れ合う時にも、義足の人が来ますよ、と聞くと、子供たちはまず足元を見るんです。最初は心配そうにしているんですが、いざ一緒に走ったり、縄跳びをしたり、交流していくと、最後は目と目でお話できるし、義足でもこんなことができるんだ、こんなに速く走れるんだと、人の持つ可能性に気がついてくれるようになります。スポーツの持つ力ってそういうところにもあるのかなと思いますね」